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Gepardi katsoo peiliin    原書名:  Gepardi katsoo peiliin
 (チーターが鏡をのぞく)
 作者名:  Hannele Huovi, 1949~
 ハンネレ・フオヴィ
 出版社 / 年:  TAMMI / 2003
 ページ数:  110
 ISBN:  9513128393
 分類:  YA
 備考:  Ihme juttu!
 Jättityttö ja Pirhonen
 Urpo ja Turpo Villissä lännessä
 Vladimirin kirja
 Ahaa! sanoi Pikkuruu
 Karvakorvan runopurkki
 Taivaanpojan verkko
 Miinalan Veikon nyrkkeilykoulu
 Suurkontio Tahmapää
 Suurkontio Tahmapää rakentaa
 Vauvan vaaka
 Maailman paras napa
 Matka joulun taloon
 Höyhenketju
 『羽根の鎖』

【要約】

理想の高いチーター、社交的になれないバク、エステに通うサイ、殻に閉じこもるのが怖いカメ、成長しても袋から出てこないカンガルー、そして、不機嫌なフタコブラクダ。カメレオンは保護色を利用して社内で成績を上げ、カンガルーの子どもは大人になってもなかなか袋から出てきません。森から出てきて都会のゴミ箱を漁るクマを、ホームレスの男性は女性だと勘違いして不憫に思います。

ほかに、ワニやトカゲ、キリンやカワイノシシ、サメやキンシコウといった、サバンナや熱帯雨林で生きる動物たちも登場します。生態も生活空間も人間とはちがうはずなのに、フオヴィの描く動物たちは、わたしたち人間を、あるいは、わたし自身を、想起させて映しだします。

金持ちのロブスターは虚栄心ばかり追い求めて、なにかを忘れてしまいました。ゾウは、はたして見た目どおりにおっとりしているのでしょうか。百獣の王ライオンがなににも動じないのは、なぜでしょう。檻のなかのヤギが恋しく想う相手とは?そして、人間を飼いならして品種改良を試みるダックスフントは、なにを教えてくれるのでしょうか。

『チーターが鏡をのぞく』は、版画家キルシ・ネウヴォネンの作品コレクション「世界の動物画」(1987-88)に触発されて、フオヴィがヤングアダルト向けに書いたものです。フオヴィは、動物の生態や習性を科学的に細やかに踏まえつつ、鋭くも豊かな想像力を最大限に駆使し、現代寓話に綴りました。15年の歳月をかけて完成した同書は、トペリウス賞候補にあがるなど高い評価を得ています。また、ネウヴォネンは、これらの作品を含め、芸術家としての傑出した活動や功績を称えられ、1997年にフィンランド政府よりスオミ賞を受賞しています。

【抜粋訳:pp.103-106】

親愛なるきみへ

きみのところに行くことができないので、こうやって手紙をしたためています。罠にかかってしまって、檻に入れられてしまいました。
ぼくに翼があったと人間が信じていた時代は、遠いむかしのことです。
きみの姿はよく目にしていました。夕映えの空に、向かいの山頂で黒い影となってたたずんでいましたね。その姿は、見まちがうはずもありません。きみの角はずっと大きくて、堂々たるものでした。ぼくは、岩陰にかくれて遠くからきみのことを見ていました。もう、山を登ろうなんて、夢にも思っていません。檻の生活があまりに長くて、怖いんです。
(・・・)
きみの、生き生きとした瞳、見透かすような眼差し。ぼくは、よく覚えています。そして、ずっとまえから、ぼくたちは繋がっているという感覚も。その感覚は今でも持っているし、確信しています。きみを見て、すぐに直観しました。ぼくは、きみが必要なんだと。きみは世界なんだと。
どうしてそんなことわかるんだろう?
檻にいると、深く考える時間があるんだ。
きみと向かいあって、きみがぼくを見ているということを、どうやって体で知りうるんだろうか。
それは強烈な経験です。きみがぼくに気づくとき、ぼくは体できみを感じます。だから、震えます。
(・・・)
ヤギは目で見るものじゃない。体で見るんです。動物がそばにいるという感覚は、山にいるヤギが、キツネとかオオカミとかワシとかが近くにいると感じることと同じこと。認識は体と繋がっています。
人間はこの繋がりを感じていないから、動物を感じることができなくなりました。だから、写真を撮ったり、芸を教えたりするんです。ぼくも二本足で踊ることを覚えました。檻の生活に飽きたときは、気晴らしに踊ることだってあります。すると、人間はビデオを回します。踊る動物を見ていると思っているんでしょう。でも、どんな眼差しも、きみがぼくを見ているものとはちがうものです。
人間の経験には優越感もあります。彼らは、子どもと動物は童話の世界で、その時代は幸いにも過ぎ去ったと思っています。
(・・・)
ぼくは嘘をつくことも覚えました。じぶんの感情をいつもそのまま出しているわけじゃありません。愛想よくしたり、機嫌をとったりもします。ぼくはもう野生のヤギじゃない。ぼくは檻のなかの動物です。檻のなかにすらいない、その他多くと同じです。
きみがとても恋しい。ぼくは体中できみを感じたい。それなのに、ぼくは、きみがぼくにとっての家だということを想うのを止めてしまいました。もう、ぼくは戻れないんです。

文/訳 末延弘子 ハンネレ・フオヴィ著『チーターが鏡をのぞく』(2003)より


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