若い女主人はとても優しい。Kullervoに少し冷たく接していたのも、実はそうでもしないとKullervoが自分の存在を現実的に受け止めてくれないと思ってのことでした。そして、彼女はKullervoを哀れみ、最後の言葉をかます。
「憎むものは殺すがいい、でも良いと思ったものは愛しなさい」
ここで、女主人とKullervoはそれぞれの道を歩むことになります。 Kullervoは、女主人のあとを追います。しかし、悲劇が起こります。Kullervoの愛した女主人の命を死が奪ってしまったのです。(補足:女主人は、道中で不幸にも沼に落ち、この世を去ります)。ここでKullervoの精神世界が披露されます。
「僕は憎むことの出来るこの世界を愛している」
Kullervoは、世界に対して憎悪をむき出しにします。彼にとって、この世は既に「壊れた世界」でしかないのです。死が憎む者どもを殺す前に、Kullervoは連中を殺そうと決意します。そしてUntamoの家へ急ぐのです。そして、Untamoの家に火を放ちます。
「煙こそ世界の真の香りだ。この煙で呼吸するのはとてもよい」
「殺害と犯罪こそ、人間を人間にし、男を男にする」
彼が辿りついた経験上の結論です。
さて、殺戮の日々を送る彼の行く先には「煙がつきまとい」ます。そんな日々を過ごしている時、Kullervoは鶴が北へ飛び去るのを目撃します。それに従い彼も北上します。それは、西洋金梅が咲き誇る春のことでした。この花が両親の暮らす家まで導いてくれます。
本来『Kalevara』では、Kullervoが道で婦人と出くわし、両親が生きていることを知ります。その婦人の情報で両親の家まで辿り着きます。Haavikkoの演出で感動するのは、このKullervoの名にちなんだ花「Kullero(西洋金梅)」が彼を両親の家まで導いてくれるところです。広い野原に咲く
Kullero(黄色い花)は、世界をさ迷う
Kullervo(黄色い髪の毛)と重なりあい、文章を多層的に楽しませてくれます。
ただ、残念なことにKullervoが黄色い髪の毛であることがこの作品では予め触れられていません。フィンランド人には周知の事実なのでいいのですが、「黄色」が象徴するものを知らない人は、歌詞の「
Yellow with flowers」は理解できないかもしれません。なんで黄色なんだろうと?ただ、この場面が"The Smoke"の情景になります。
この曲はピアノの可憐なメロディーではじまります。田園を歩く感じなのでしょうか。しかし、直ぐにギターがその世界を切り裂きます。煙が追いかけてくるイメージなのでしょう。田園は次第に煙に包まれていくように、ピアノの音はギターに飲み込まれます。そして、その煙はKullervoと同化してしまいます。デスヴォイスと通常のヴォーカルがその二面性を十分にとらえています。
ピアノと通常のヴォーカルが田園世界を表現し、ギターとデスヴォイスが煙の世界を表現しているの感じがします。両者が混じりあいストーリー性がより引き立っています。とても「melodic」で絵画的な音色です。デスヴォイスがありますが、本来の意味で「death」ではありません。田園世界を引き立てる要素といった方がいいかもしれません。もし「death」といえるとすれば、「I am smoke」という同化現象ぐらいです。この同化は物質と精神の融合であり、とても聴き応えがあります。