KIRJOJEN PUUTARHA
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 Paavo Haavikko - Kullervon tarina - Amorphis - eclipse

 

フィンランドを代表するMelodic death metalバンドAmorphisがアルバム「eclipse」(2006)をリリースしました。このアルバムの歌詞は、Paavo Haavikkoの劇作『Kullervon tarina』(クッレルヴォの物語, 1982,1989)に基づいています。

アルバムのリリースが今年のはじめでしたので時期的に遅れてしまいましたが、『Kullervon tarina』のあらすじを辿りながら、各曲の背景について大まかに綴ってみます。日本にもたくさんAmorphisのファンがおられると思います。多少なりともご参考になれば幸いです。

 
 
"Stone Woman"はBonus Trackで収録されている曲です。前回の"Perkele (The God Of Fire)"のお話から少し先に進んだところの描写です。まずそこまで流れをつかみます。

焼畑は完了しました。次にUntamoは、Kullervoに柵を作るように命令します。Kullervoは指示に従い何者も入ることの出来ない柵を作ります(巨大過ぎて役に立たない)。次に穀物栽培をします。豊作となりますが、また粗暴ぶりがあだとなり脱穀で穀物をだめにしてしまいます。

ただ、Haavikkoは同情的に、Kullervoの直向さを前面に描いています。それ故『Kullervon tarina』のKullervoの「無垢な姿」には感動さえ覚えます。そう、彼の行動が報われないのがとても悲しいです。

ここでKullervoは役立たずの判を押され、売り出されます。新しい主人は老人、女主人は若い女性です。前述しましたが、この場面は本来『Kalevala』ではIlmarinenの所に雇い入れられる設定です。

さて、新しい主人宅の干草置き場がKullervoの新しい住処になります。 新しい女主人はKullervoを牧童にしようとすします。Kullervoは牧童なんて嫌だといいます。しかし、Kullervoは嫌々ながらも牧童になります。

補足:通常この手の仕事は女性がするものでした。有名な所では『Paimen piika, ja emäntä』があります。直訳すれば『牧場の雇われ少女と女主人』。この作品は日本でもアニメで人気になった『牧場の少女カトリ』の原書です。

女主人は"焼きたてのパン"を昼食に持ってきます。ただし、このパンは「心の様子を映し出すパン」と女主人は告げます。そう言われてKullervoは"自分のようなパン"だったらどんなものか想像すします。そして自分のようなパンだったら中に「石」が入っていると思い込むのです。

補足:ここの部分は既に『Kalevala』で確認した部分と話が異なます。『Kalevala』では女主人が意地悪で、悪ふざけ半分でパンに石を入れて焼きます。そのパンをKullervoが父の片身の小刀で切ろうとして、小刀が石に砕かれます。そして女主人暗殺へと話が展開します。

さて、パンに石が入っていると思い込んでいるKullervoはお腹が空いてもパンを食べることができません。入っているか否かを知ることで自分の境遇が確定してしまうことを恐れているのです。パンを切って自分が清い人間であると証明する勇気がないのです。可愛そうに。

ここで突然今回の曲のタイトル"Stone Woman"が登場します。"Stone Woman"とはKullervoが石から作った人工の女性です。 いったいなんでこんなもの作ったのでしょう。それは、女主人に「石で女なんか作るな!ここに生身のオンナがいるのに」と言わせたかったからです。

実は、この女主人は、若い女性です。しかも、主人は老人だです。それゆえ、Kullervoの近くを通るたびに息を荒立てます。吐息を投げかけて誘惑します。Kullervoを牧童にしたのも、家からKullervoを離すためのようです。Kullervoも女主人を「それほど若くはないがオンナ」とみなしています。ただ、Kullervoは女性にたいする接し方を知りませんでした。そこで、「石の女」を作って女主人の気をひこうとしたのです。

しかし、企みは失敗します。それは、女主人が「石の女」を見てKullervoと男女の関係になる事は出来ないと悟るからです。正確にはKullervoを哀れんでいると言った方がいいかもしれません。

そして彼女は、Kullervoが「愛」と「優しさ」を恐れていて、「憎悪」を愛していると語ります。そう、Kullervoは実際、"愛すること"は考えることが多いから、いっそのこと"憎むこと"の方がましだと思っています。これも実は女性を抱いてしまうことで自分の存在を見失うと思っているKullervoの心境の現れです。パンを割って真偽を確かめられないのと同じ状況になります。

ここで補足です。この「石の女」という描写は、そもそも『Kalevala』にありません。Haavikkoは『Kalevala』の下記の要素をもとに"Stone Woman"を独自に描き出しました。

☆ Kullervoが戦に行く前に家族に言った言葉
⇒ 私が死んだら泣いてくれるか?
⇒ 家族(母を除き)は、泣かないという
⇒ それにたいしてKullervoも応戦
⇒ 家族が死んでも俺も泣かない
⇒ 石や土などで家族を作る

その他:
☆ Sampo-jaksoに含まれる「金の花嫁」の話
⇒ 嫁を失ったIrmalinenは花嫁を金で鍛造する

「石や土などで家族を作る」と「金の花嫁」の話が融合し、独自に脚色された話です。なぜこの話が必要なのでしょうか?

Haavikkoは「精神的な豊かさの象徴」として『Kalevala』に登場する「金の花嫁」を解釈しています。これにより、イルマリネンの創作性が「精神を高揚させる」と考えていました。その考えをKullervoにも応用した形です。偶像を作成することでKullervoの精神世界を描き出しているといった方がよいかもしれません。(比較:秘器サンポ=物質世界の象徴)

分厚いギター、ベース、ほどほどのドラムの出だし。一瞬激しい曲かと思ってしまいます。女主人が"stone woman"を見つけた瞬間のショックな感じを表現しているのかもしれません。しかし、直ぐに落ち着きます。というのも、この歌詞のほとんどが女主人の台詞なのです。ヴォーカルはいたっておだやか。デスヴォイスは入り込めません。とはいえ、もちろん女主人の「嘆き」、そしてKullervoに対する「哀れみ」はしっかりと叫んでくれます。ギター、ベース、ドラムも引き立ててくれます。

ただ、ギターのソロは、控えめです。それに引き換え、ベースの重たいイメージが、「息吹」を消してくれる感じがします。生命を持たない「冷たい石」を感じます。 残念なことにKullervoの台詞の部分がシンプルにまとめられすぎている感があります。この曲の最後3行のみがKullervoの台詞になります。ただ、これは設定上仕方がありません。

なぜならこの部分は、Kullervoの「心の中」での台詞だからです。実際に口にしていない気持ち。なぜ"stone woman"を作ったのか?その答えです。秘めた思いは「叫ぶ」ことはできません。いや、叫んではいるが声にならない分、「弱い」と言った方がよいでしょう。ただ、工夫していると思ったのは"I am here"の部分が、劇のように仕立て上げられていることです。

この曲は、音的に今回のアルバムの中ではあたりさわりのないもののように感じます。ただ、先述のような設定なので仕方がありません。