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スウェーデン支配下時代の文学 |
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バロックとフィンランド語詩17世紀にヨーロッパで興隆したバロックは、フィンランドに於いて17世紀後半より見られ、前の項目で述べたオロフ・ ヴェクシオニウスやダニエル・アクレリウス(1644-92)、トルステン・ルデーン(1661-1729)など のスウェーデン語の状況詩に登場し始めます。この時代の状況詩の特徴として、形式や主題を古典時代の作品(叙事詩) や聖書に強く求めたり、模倣することが挙げられます。また、道徳観と俗世観が交錯し、聖書はキリスト教義的に使われず、 社会における個人の生き方の指針として用いられるようになりました。 バロック時代にフィンランド語による詩も極僅かですが登場し始めます。早くに登場したものでは、ヨハンネス・ カヤヌス(1655-81)が死の床にて綴った詩「憐れな人間よ、全くもって脆き人間よ」(1683)が挙げられ、 バロックに特徴的な死やキリスト教を主題にしています。形式に重点を置いたバロックに習って、フィンランド語詩で はカレヴァラ韻律(四脚からなる強弱格)が用いられ、主題としてはバロックに特徴的なキリスト教を取り上げた作品が現れています。 カレヴァラ韻律とキリストの伝記が結び付いたマティアス・サラムニウス(1650-91)のメシアの詩『基督の喜びの歌』 (1690)は、聖書の物語に忠実に則ってキリストの誕生や受難を語ったものです。この作品は、フィンランド語の使用が 活発でなかった時代に16回も版を重ねた作品で、幾つかの詩は民俗歌揺の歌い手を介して『カレヴァラ』に伝わってきたのではないか、と文学研究家ラッセ・コスケラは指摘しています。 フィンランド語文学はつまりヨーロッパの文学様式と繋がりを持ち、俗謡などはドイツなどからスウェーデンを介 してフィンランドに伝播してきた経緯を潤色させて物語ったものです。当時、新しい文章を書くことは創造することではなく、 模範すること、または翻訳することでした。口承で受け継がれてきたカレヴァラ韻律が文字化された詩以外の作品に ローレンティウス・ペトリ(1605-71)のフィンランド史『現在における芬蘭国の歴史及び信仰の要綱』(1658)などがあります。 フィンランドの民俗詩にも、カレヴァラ韻律の他に言葉遊びが見うけられます。家庭内での醸造禁止に不平を漏らす無名農夫が書き残した「酒飲みの言い分」(1774)は、その一例です。この作品はまた、恋歌として伝えられている「あの人がやって来たら」と同形式であり、比較すると面白いです。
言葉や言葉の語呂合わせに与えたバロックの影響は大きいといえます。動的で奔放なバロック形式の言葉遊びには、近代抒情詩の兆しさえも窺われます。ゲオルギス・キールの韻を踏んだ婚礼詩はその一例です。これは、結婚を控えたカール・ボンドに寄せて書かれた婚礼詩です。
キールの婚礼詩のように頭韻を踏みながらも、アクロスティック(詩句の最初の文字がある人物の名前になっている)を用いた作品は18世紀前半にも見られます。その一例として、アンドレアス・サロヴィウス(不詳-1771)の「マルティヌス・フロリヌス」(1732)があります。フロリヌス司教の死を哀弔して、学徒であったサロヴィウスが六歩格で綴った弔辞詩です。各々の最初の行頭文字がマルティヌスという言葉を紡ぎ出したアクロスティックになっています。
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