KIRJOJEN PUUTARHA
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スウェーデン支配下時代の文学

このページでは、フィンランドがスウェーデン王国の支配下であった時代(約1200~1809年)の文芸文化を考察しようと考えています。この時代に宗教書物などの翻訳を介して文字による文化が発達を遂げます。この時代についていくつかの項目に分けて記述していますのでお好きな項目を右の目次より選択してください。

なお、人名や書籍は読みやすいように日本語に訳して記載しています。

原語名は下記の索引を参照してください。

■ 索引
■ 参考文献一覧


ピア・カンツォーネ

中世に残されたフィンランドの文献に特徴的なのは、西洋のキリスト教会文学、すなわち聖者伝説や年代記、宗教詩や俗謡、また奇跡物語などを含んでいることです。このような特色を備えた代表的作品に、前の項目で述べた聖ヘンリックの伝説と『ピア・カンツォーネ』(1582)があります。神聖歌集『ピア・カンツォーネ』は、中世のラテン語文化をフィンランドに伝えました。歌集には70近くの歌が収められており、宗教的な歌や教会組織に関する歌、またキリスト教会学校の教えなどが含まれています。

ここで、『ピア・カンツォーネ』を介しフィンランドに伝わった詩として、幾つか例を見てみましょう。「異境地にて」は、一般的な教会学校の教材です。これは変動的な現世を語っています。救済者のみが我々を死から救い出すといった宗教的な意義で解釈できる一方で、不安定で変わりやすい俗世界やそこから抜け出そうと足掻いているとも解釈できます。

異境地にて、
窮乏が我を苦しめる、
精も魂も尽き果てて、
喜びは消え去った、

死にゆく者の救済者、
信心深き者の激励者よ、
あなたのために、
神は我らを救済し、死から逃れさせた。

我は故郷から排除され、
困窮へと追い詰められた、
我はまるで平信徒のよう、
貧窮さえも我に足枷しかねない。
兵士であるなら馬に乗り、
泥棒であるなら盗むのに。
されど我は盗人でもなく、
兵士でもない、
アポロの賎しい付人さ。

僧侶にも成り切れず、
隠遁者にも不向きだ、
物乞いするのも恥ずかしく、
漁り回すのも勇気がいる。

死にゆく者の救済者、
信心深き者の激励者よ、
あなたのために、
神は我らを救済し、死から逃れさせた。

『ピア・カンツォーネ』より

最終詩「百花繚乱」も、この世とあの世の緊張感を表現しています。ここでは、現世の世界を肯定的に語り、神の創造した世界を評価するべきだと述べています。

春も酣、花は芽吹き
春の装いに衣替え。
意地悪寒気に打って変わって、
暖気が与える清涼感。
これを体験できるのは
あらゆる困難を乗り越えてこそ。

野原は花が咲き乱れ、目の保養に
丁度良い。選ばれた薬草は
観る者に爽快感を与える。草花は
冬の間に身を休め、春の間に咲き誇る。
美しき眺めは、神が全ての創造主であると、
我々に確信させる。
今こそ歓喜に満ち溢れる時、
再建された世界では、我々自らも
再生する。


溢れる花と装飾で、大地に華やかな
白粉を。‐ 我らも同じく着飾ろう、
立派な態度と真の愛情で。百花繚乱に
歓喜を上げ、溢れる想いで神に感謝を。

『ピア・カンツォーネ』より

『ピア・カンツォーネ』のスウェーデン語訳とフィンランド語訳は17世紀初頭に登場します。スウェーデン語訳はシグフリッド・アロヌス・フォルシウスが、フィンランド語訳はヘンミンギウス・マスクライネンが手掛けています。このような中世ラテン語文学の歌謡伝統はフィンランドで長く受け継がれていくことになります。


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