KIRJOJEN PUUTARHA
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スウェーデン支配下時代の文学

このページでは、フィンランドがスウェーデン王国の支配下であった時代(約1200~1809年)の文芸文化を考察しようと考えています。この時代に宗教書物などの翻訳を介して文字による文化が発達を遂げます。この時代についていくつかの項目に分けて記述していますのでお好きな項目を右の目次より選択してください。

なお、人名や書籍は読みやすいように日本語に訳して記載しています。

原語名は下記の索引を参照してください。

■ 索引
■ 参考文献一覧


ヨンス・ブッダ

フィンランドで最初の作家と称される人物は、ヨンス・ブッダです。ブッダは、実際には作家というよりも、当時の流れに沿って宗教書物の翻訳家として活躍していました。 ブッダが手掛けた初期の翻訳作品として、ラテン語からのスウェーデン語に訳した『聖メチルド』があります。ブッダは後書きに翻訳の経緯について言及しているのですが、興味深いのは情実を絡めて物語風に語っていることです。これは、フィンランド文学で最初の物語とされています。

「十四日間、ラテン語で記されたこの作品の模写に取り組んだが、自分の無力さを感じて術なかった。頭痛に苛まれ、身体のあちこちに激痛が走り、数日間寝込んでしまうほどであった。手にした作品や神聖に対する深い愛情のために、大勢の神友、修道女、大衆のために、そしてラテン語を理解できない者のためにと思いつつ、翻訳を引き受けるのも躊躇せずにはいられなかった。私の無知蒙昧なラテン語能力によって、この気高きラテン語作品を解釈しようとするのだから・・。最終的には、修道院長や修道女の愛情のこもった必死の願いに折れた。驚いたことに、翻訳を承諾して精読したあくる日の晩には、なんと細心の注意を払って六つ、八つの章を訳し終えていた。いつものように窓際に腰を据えて取り組んでいたが、夢心地で書いていた気がする。書物に対する昧さや屋敷に訪れる暗さに、見るものも見えず、書くにも書けなかった。闇に苛まれながら座っていると、何処からともなく背の高い麗しき乙女が、修道女の姿を借りて屋敷へ足を踏み入れるのを感じた。仄黒い服を身に纏い、黒い布を被った修道女は、煌びやかに装飾が施された机を抱えており、その机には蓋のような、もしくは円盤のようなものが二枚付いていた。そして私の隣に腰を掛けると、「我が兄弟よ、屋敷を襲う暗闇やあなたを襲う蒙昧さに悶え苦しんでいるのがわかります」と言い、手にしていた机を開いた。開いてみると、それは透明度の高い鏡であった。上から下まで飾り立てられ、申し分なく設計された鏡であった。「見てご覧なさい、この鏡を見れば本が理解できますよ」そう言うと、鏡を閉じて部屋を後にした。はっと我に返ると、朝の礼拝が耳に届き、神が眠りから覚ましてくれたのだと気付いた。頭や身体を襲ったあらゆる痛みも脆弱さも拭い去られ、疲れなど微塵も感じなくなった。この時以来、眠るのも惜しんで十四日間、ラテン語からスウェーデン語への解釈と翻訳に尽力したのだ。」

ヨンス・ブッダ『聖メチルド』後書きより

ここにはキリスト教的伝統(キリスト教文学、女性像、鏡)が窺われます。夢に現れた女性像は、おそらく聖ブリジッタ、もしくは聖メチルドであろうと推測されています。この乙女は重要な鏡を差し出し、ブッダの視界を明るくします。鏡は、聖書にあるコリントの使徒へ送られた手紙を指し、それに纏わる神話的、終末論的言葉、すなわち信心、希望、 そして愛を示していると解釈されているのです。

この他にブッダは、1484年にユデト書、エステル記、ルツ記を完成させるなど聖書のスウェーデン語訳を手掛けています。また、ブッダの記した『ヨンス・ブッダの本』には様々な文章の翻訳が含まれており、第一巻には、先生と生徒の対話形式でキリスト教の教義が語られています。第二、第三巻には聖者伝説が翻訳され、第三巻にはまた、教訓的な恐怖物語なども含まれ、ここでも対話形式で教諭されています。


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