【抜粋訳: pp. 138-140】
フィンランド人に「幸せとは何ですか?」と聞けば、土曜のサウナの前の焼きたてのプッラの匂い、と答えるのが習慣だった。プッラは、フィンランドでもっとも人気のある菓子パンだ。オーブンから漂う匂いは、どの国民にも通じる体験である。私たちフィンランド人はプッラなしではいられない。しかし、ほかの国ではプッラのことはほとんど知られていないというから驚きだ。
丸いかたちのプッラは、母親の胸に似ている。プッラは、牛乳やコーヒーと一緒に昔から食されてきたおやつである。リング状のプッラは、お祝いの席でひときわ異彩を放ち、シナモンが香しいコルヴァプースティ(渦巻き状のフィンランドのシナモンロール)は、もともと都会人のちょっとおしゃれな菓子パンだった。
プッラの語源(pullea)は、やわらかさと丸み、である。
プッラはスローライフの形見だ。プッラをつくるには時間がかかる。二段階の待ち時間を要する。生地ができると、少なくとも30分は暖かい場所で寝かせておく。成形はそれからだ。プッラが焼きあがっても、さらに寝かせておく。
1970年代のスローライフ時代は、二段階の待ち時間はパンを焼く上で当たり前だった。だが、フィンランドは変わった。もう、二回も待てなくなったのだ。それと同時に、田舎は空洞化し、ゆっくりとした生活リズムは消え、パイがプッラに取って代わった。パイ生地にはイースト菌がいらない。つまり、パイなら一回の手間でできるのだ。
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プッラの二段階の待機期間は、フィンランドの崩壊と成熟の歴史のシンボルだ。生地を寝かしている間、プッラにはナプキンをかけておく。フィンランドも二回、待った。二回、異国の支配に遭ったのだ。フィンランドが独立してようやく完成した。つまり、生地は膨らみ、オーブンで焼ける状態になったのだ。
一方で、最近の半冷凍ブームは歴史のない時代を象徴している。21世紀のフィンランド人には、パイすら焼く時間がない。店で買った半冷凍パックのプッラやコルヴァプースティを冷凍庫から取りだして、オーブンプレートに並べる。それをオーブンに押しこめば、20分後にはあつあつのプッラができ上がる。辛抱も、二度の待機段階も、プッラを焼くことも、焼こうと思うことも、もうないのだ。
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