【要約】
「一切の部分は全体についての情報を与えている。個は集団の萌芽であり、個々は集団の全体像を包含する。わたしとは、わたしたちである」
町のなかでも、とりわけ古い建物のひとつである「蜜蜂の館」は、今、取り壊しの危機にある。以前は、心の病気の診療所として機能し、現在は、さまざまな独立した"群れ"をなす団体の集会所になっている。出入りする団体は、爬虫類学的同好会、咽喉シンガー、地方自治学振興会、脱字者クラブ、スタインヴュルツェル家系協会、キュニコス会、客観世界の犠牲者支援、預言者会、ラッダイトクラブ、呼吸者会とさまざまだ。館の地下は、フロイトに傾倒しているライ夫人主宰の劇団「心臓と肝臓」と、ハイブリッド型ロボットの「ハイブロット」と共生している失業中の神学者シーグベルトの住居スペースとなっていて、地上階には、ポルノショップ「快楽」がある。また、館には、アッシャー症候群を患う女性ラハヤも掃除パートとして出入りしている。
主人公が所属しているのは、法医学部生のアナトールが立ち上げた「変化する現実クラブ」だ。クラブのメンバーは、じぶんたちが体験した不可解な出来事をそれぞれ語りながら、物語はひとつの世界を編み上げてゆく。老カメラマンの「ゲルダ」はなにを写したのだろう?「ドライバー」が時間をかけてまで旧街道を走る理由は?幼少時代への想いは「秘書」の目になにを見せたのか?世界像は意志のうえに成り立っているという「ヘテロですらありたくない」の根拠とは?昔のクラスメートのセルマが見た屋根裏部屋階段のどす黒い液体の塊とふたつの頭をもった昆虫は、彼女にとってなにを意味するのだろう?「シクラメン」と名乗る主人公が、京都で出会った三人の仏陀をとおして見た真実とは?
誰もがそれぞれの見方でさまざまな側面から世界を見る。じぶんのなかに見えたもの、じぶんにとって現れたもの、それは疑いなく、そのひとにとって真実なのだ。見えたものが正しいかそうでないかよりも、どうしてそれが見えたのか、それはそのひとにとってどんな意味をもたらすのか。そして、見えたものは、いかにして他者と分かつことが可能なのか。
クルーンが、深く、根本的に、問いかける。
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