KIRJOJEN PUUTARHA
フィンランド文学情報サイト

ロシア大公国時代の文学

長い間スウェーデンの支配を受けていたフィンランドは、1809年から1917年まで今度は東の隣国であるロシア大公国の自治領となります。このロシア大公国時代と呼ばれる時代に、独自の文学機関であるフィンランド文学協会(Suomalaisen Kirjallisuuden Seura)が1831年に設立されたり、三人の偉人と称される人物が登場したりと、フィンランドの文芸文化は飛躍的に発展を遂げます。この時代についていくつかの項目に分けて記述していますので、お好きな項目を右のメニューより選択してください。

なお、人名や書籍は読みやすいように日本語に訳して記載しています。

原語名は下記の索引を参照してください。

■ 索引
■ 参考文献一覧


文化を求めて‐スネルマン

レンロートやルーネベリは、文芸でフィンランドの文化を模索しました。彼らと共に思想面でフィンランド文化構築に尽力し、国民的哲学者と称された人物がスネルマン(1806-81)です。スネルマンは、恩師テングストロームのようにヘーゲル哲学に傾倒し、ドイツやオーストリアなどヨーロッパ諸国に滞在中に、哲学書『私的観念』(1841)や『政治学』(1842)などを著しています。これらの書籍を介して、近代国家の構築過程や社会の構成者である農民や商人の成り立ちを説いた政治的な理論を打ち出しました。フィンランドに帰 国してからは「倫理と学術」という哲学の教授に就き、1863年には大蔵大臣を務めました。

スネルマンの業績として、国民文学という概念を構築したことが挙げられます。スネルマンは「フィンランドに於ける戦争と平和」と題した記事を書き、暴力を用いずに文化を築き上げることがフィンランドを独立へ導くと主張しました。すなわち、文化の興隆によって、世界の諸民族と同等の地位にフィンランドを引き上げたかったのです。このようなスネルマンの考えは、サイマ誌やリッテラトゥルブラッド誌を中心に掲載され、統一された言語や民族の言語で書かれた文学の必要性を説いています。この考えを推し進めるために、諸外国(ハンガリー、ポーランド、セルビア、クロアチア等)の文学例を挙げています。このサイマ誌は、フィンランドの愛国心を主張したフェンノマーニの発起となる雑誌と なりました。

フィンランド語の重要性を主張したスネルマンは、スウェーデン語の使用に反対する姿勢を示しましたが、このような考え方を明確に唱えた人物はスネルマン以前にはいませんでした。確かに、19世紀初頭よりアルヴィッドソンやリンセーンなどによりフィンランド語の重要性は説かれています。しかし、彼らは民族語であるフィンランド語の立場を擁護したのであって、フィンランド語を統一言語にしようとしたものではありませんでした。スネルマンの主張は、フィンランドの言語問題に一石を投じ、フィンランド語の立場を向上させる契機となりました。(ただし、スネルマンの言う「一言語一民族」は、当時の文化人の統一的見解ではありません。ルーネベリを始めとした同時代の文化人の大半は、フィンランド語とスウェーデン語の両言語による文化構築を唱えるといった諸見解の中で、言語問題は展開されていきます)。

スネルマンは「一言語一民族」を主張することで、フィンランドの文化の興隆を国民文学の中に求めようとしました。しかしスネルマンは、レンロートやルーネベリが求めた民族性や大衆文化を追求するような方向性を取りませんでした。かつてヘーゲル思想に傾倒し、またロマン主義者であったテングストロームは、民衆と上流階級の融合を説き、民俗歌謡や童話の収集の重要性を語りましたが、スネルマンは、よりヘーゲルに近い考え方を求めたのです。つまり、文芸において高尚とされてきた叙事詩や叙情詩ではなく、それまで通俗的と見なされていた小説にフィンランド文化構築の方向性を見い出したのです。 ヘーゲルにとって、作家の役目は現実を描くことであり、またその時代に拘束されることでした。まさに小説や散文は日常を語るものであり、その時代を歴史的出来事の連鎖の中で語る媒介であったのです。すなわち、ヘーゲル的な観念では、小説には民俗詩に見られるような非現実的な要素も空想的な人物もないということです。スネルマンは、この現実本位と時代拘束性を支持し、小説を介して社会の諸問題を浮き彫りにしてフィンランドの近代国家の形成を試みようとしたのです。このようなスネルマンの試みは、後にアレクシス・キヴィによって記される長編小説『七人兄弟』(1870)の中にも見受けることができます。

〔・・・〕日曜日や安息日には、エーロは穴が開くほど新聞を読んでいるか、近況報告や地元の教会の時事問題を書いては新聞社に送っているかのどちらかだ。 明瞭簡潔で説得力があり要点を突いたエーロの文章は、相手側に快く受け取られた。このよ うな趣味が高じるにつれ、エーロの人生観や世界観も広がりを見せた。もはや、情報も何もな いような、つかみ所のない地に住んでいるわけではないのだ。辺境に位置した愛する母 国がどこにあるのか、芬蘭の国民が住み、構築し、戦闘した母国がどこにあるのか、 先祖の骨が眠っている懐がどこにあるのか、心得ているのだ。〔・・・〕

『七人兄弟』より


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