KIRJOJEN PUUTARHA
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ロシア大公国時代の文学

長い間スウェーデンの支配を受けていたフィンランドは、1809年から1917年まで今度は東の隣国であるロシア大公国の自治領となります。このロシア大公国時代と呼ばれる時代に、独自の文学機関であるフィンランド文学協会(Suomalaisen Kirjallisuuden Seura)が1831年に設立されたり、三人の偉人と称される人物が登場したりと、フィンランドの文芸文化は飛躍的に発展を遂げます。この時代についていくつかの項目に分けて記述していますので、お好きな項目を右のメニューより選択してください。

なお、人名や書籍は読みやすいように日本語に訳して記載しています。

原語名は下記の索引を参照してください。

■ 索引
■ 参考文献一覧


四人の偉人による文化構築

19世紀のフィンランドにおける啓蒙主義やロマン主義は、スウェーデンからの隔離とあいまって国家主義的な枠組みの中で展開され、アルヴィッドソン、リンセーン、テングストロームなどによってフィンランドの主体性が叫ばれました。テングストロームが指摘しているように、民族意識や文化構築の意識を感化させるには、学識層や高級官僚などに一般の国民文化を根づかせる必要があったのです。このような動きの中、18世紀末から19世紀に登場するロマン主義の国民詩人という概念が浮上します。ロマン主義的な解釈では、詩人は民族精神と深い関わりを持ち、また過去や未来における国民像の最良の表現者であ ると考えられ、ある種神格化され始めたのです。詩人や作家の役目は、国民像を創り出し、国民の歴史を語ることとなりました。他国の代表的な存在として、社会における国民精神の重要性を示した英国詩人トーマス・グレー(1716-71)が挙げられます。

フィンランドで顕著に活躍した英雄に、民俗詩をもとにカレヴァラ世界を創造したレンロート、フィンランド内陸部の環境と歴史を文学的に国民の感情と融合させた国民的詩人ルーネベリ、国民の利益に着目してフェンノマーニ(熱狂的フィンランド嗜好, Fennomaani)を掲げた国民的哲学者スネルマン、そして、歴史からフィンランド国民性を表現した国民的歴史学者トペリウスなどがいます。彼らは、文芸倶楽部土曜会 (Lauantaiseura)を中心に積極的に行動し、フィンランドの民族性や国民文学について意見を交換することとなります。 レンロートを除いた三人は、スウェーデン語で多くの作品を残しています。フィンランド語が公の場で使用されることの少なかった当時、スウェーデン語の使用は学識層や高級官僚に国民性を伝えるうえで必然的なことでした。とくに、この三人はフィンランドで偉人と称されましたが、レンロートを含めた四人によって文化構築がなされることとなります。


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