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スウェーデン支配下時代の文学

このページでは、フィンランドがスウェーデン王国の支配下であった時代(約1200~1809年)の文芸文化を考察しようと考えています。この時代に宗教書物などの翻訳を介して文字による文化が発達を遂げます。この時代についていくつかの項目に分けて記述していますのでお好きな項目を右の目次より選択してください。

なお、人名や書籍は読みやすいように日本語に訳して記載しています。

原語名は下記の索引を参照してください。

■ 索引
■ 参考文献一覧


文章化の時代

11世紀に始まるスウェーデンとデンマークによるフィンランドへの十字軍遠征は、 それまで三種族に分かれていたフィンランド(本フィンランド族、タヴァスティア族、カレリア族)を次第にキリスト教文化圏へと導いていきました。それは、宗教はもちろんのこと、経済的、また政治的な利益からフィンランドを一体化する目的があったようです。

このようなフィンランドのキリスト教化は、それ以前に活字による文化を有していなかったフィンランドの言語文化の発展に大きく貢献することとなりました。中世ヨーロッパの典型的な文学様式は、聖者伝説、年代記、宗教的叙情詩や伝奇物語などでした。フィンランドに於いては、十字軍遠征でフィンランドに訪れた聖ヘンリックに纏わる伝説(ヘンリック祈祷に関わる礼拝文)が、中世より聖職者の間で読まれ、1290年ごろには文章化されていたと推測されています。聖ヘンリックの棺がフィンランド南西部トゥルク(オーボ)に移転された1249年、トゥルクは教会と聖職者の町として祝され、司教管轄区の始まりを告げるのです。ヘンリックの殉教について語られている教会歌は次のように記されています。

神の殉教者、今こそ受難と
拷問の償いとして
脅かされぬ天の上にて
聖なる人となりにて
果てぬ名誉を享受せよ
あなたを称え
感謝する我々を
天使の許へと導き給え
至福の喜びを与え給え

これは形式的には詩でありますが、中世においては神聖を綴った文書として扱われていたようです。刹那的で変化に富んだ俗世界に比べ、天上界は無限で普遍であるといった宇宙論的な世界観がその中核を成しています。中世詩は芸術というよりも科学の一環として扱われ、主に俗世界の現実について語られたものでした。このようにキリスト教文化圏の中でフィンランドの言語文化の兆候が現れ始め、時代を経て1488年にはカトリック教会礼拝書『トゥルク人の祈祷書』のようにフィンランド人のための書物も記されるようになりました。また宗教関連書物やその翻訳書物を介して、次第に創作性を帯びた作品も現れ始めるのです。


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