KIRJOJEN PUUTARHA
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スウェーデン支配下時代の文学 |
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文章化の時代11世紀に始まるスウェーデンとデンマークによるフィンランドへの十字軍遠征は、 それまで三種族に分かれていたフィンランド(本フィンランド族、タヴァスティア族、カレリア族)を次第にキリスト教文化圏へと導いていきました。それは、宗教はもちろんのこと、経済的、また政治的な利益からフィンランドを一体化する目的があったようです。 このようなフィンランドのキリスト教化は、それ以前に活字による文化を有していなかったフィンランドの言語文化の発展に大きく貢献することとなりました。中世ヨーロッパの典型的な文学様式は、聖者伝説、年代記、宗教的叙情詩や伝奇物語などでした。フィンランドに於いては、十字軍遠征でフィンランドに訪れた聖ヘンリックに纏わる伝説(ヘンリック祈祷に関わる礼拝文)が、中世より聖職者の間で読まれ、1290年ごろには文章化されていたと推測されています。聖ヘンリックの棺がフィンランド南西部トゥルク(オーボ)に移転された1249年、トゥルクは教会と聖職者の町として祝され、司教管轄区の始まりを告げるのです。ヘンリックの殉教について語られている教会歌は次のように記されています。
これは形式的には詩でありますが、中世においては神聖を綴った文書として扱われていたようです。刹那的で変化に富んだ俗世界に比べ、天上界は無限で普遍であるといった宇宙論的な世界観がその中核を成しています。中世詩は芸術というよりも科学の一環として扱われ、主に俗世界の現実について語られたものでした。このようにキリスト教文化圏の中でフィンランドの言語文化の兆候が現れ始め、時代を経て1488年にはカトリック教会礼拝書『トゥルク人の祈祷書』のようにフィンランド人のための書物も記されるようになりました。また宗教関連書物やその翻訳書物を介して、次第に創作性を帯びた作品も現れ始めるのです。 |
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