KIRJOJEN PUUTARHA
フィンランド文学情報サイト

独立期~第二次大戦までの文学

■□■ 目次 ■□■

01. 新ロマン主義
02. 象徴主義とデカダンス
03. アイロニーの時代
04. 20世紀初頭の抒情詩代
以降は、作成次第掲載します!!

19世紀末から20世紀初頭にかけてフィンランドは、独立国家へと邁進します。この時期は、また近代の社会へ向けて社会のあらゆる側面が、変わり始める時期でもありました。このページでは、この時代にフィンランドの文学がどのよう方向性を見出して発展してきたのかを考察しようと思います。この時代についていくつかの項目に分けて記述しています のでお好きな項目を右のメニューより選択してください。

尚、人名や書籍は読みやすいように日本語に訳して記載しています。

原語名は下記の索引を参照してください。

■ 索引
■ 参考文献一覧

  

アイロニーの時代

1910年代は社会や人間に対する失望感が前面に押し出されました。そして、第一次世界大戦勃発後は否定的な事実が知識階級者を落胆させました。金銭価値や物質価値が叫ばれ、価値観に対する問題提起がなされました。

この頃、都市と地方の二項対立が表面化します。都市が頽廃を代表しているのに対して、地方は生活力を表わすものでした。そして地方の農民を描写した作品が多く残されています。例えば、マイユ・ラッシラの『マッチを借りて』(1910)、『ポホヨラの農家』(1911)、フィンネの『健やかな男』(1915)やリンナンコスキの『ヘイッキラ屋敷をかけた戦い』(1905)や『難民』(1908などが挙げられます。とりわけ、ラッシラの『ポホヨラの農家』(1911)は、農夫生活は我々が想像しているほど決して牧歌的ではなく、物質や所有物に対して泥沼の戦いが繰り広げられる場所でもあると、農夫生活を問題提起したこの時代を代表作品です。

ヨエル・レフトネンはアイロニーを作品に取り入れ、価値観を問題提起するだけでなく、それに滑稽さを味付けします。『ある夏』や『朽ちた林檎の木』(1918)では、崩壊しつつある社会をアイロニーで描写し、個々人の人生と世界の間で生じる矛盾を浮き彫りにしています。同じようなテーマで、レフトネンは二部作の長編小説『プトキノトコ』(1919,1920)を著しています。主人公サヴォ人のユータス・カクリアイネンは、小作人という不安定な立場に不満を抱き、小屋の修理にも身が入りません。主人のアーペリ・ムッティネンがいくら注意をしても、仕事に手を付けようとはしないのです。『プトキノトコ』は、「新時代が蹂躙した焼畑文化の伝統」を風刺した作品です。しかしながら、カクリアイネンの逆境にも関わらず、その行動には何か勇姿が窺えます。例えば粉袋を担ぐ場面がそうです。このカクリアイネンの反抗は自分自身に刃を向けますが、それは隔離者を生み出した社会に背く最後の手段なのです。

(・・)何か企んだ目をした商人が不意にこう言った。「あそこに八十キロの袋があるだろ!それを背負ってみな・・背負えるなら。俺は麦畑に行くんだが・・袋を一回も地面に降ろさずに畑の向こう側まで背負えたら・・そうだな、半額で売ってもいいよ。」「あそこまで!半額で!これで、いくらか節約できるよ!約束、破らないって誓うかい。」ユータス・カクリアイネンが声高に尋ねると、「誓うよ。」と商人は答えた。(・・)頑として踏ん張ってりゃ、こんなのちょろいもんさ・・・。すぐに慣れちまうよ。カクリアイネンが片手で試しても、袋はしっかりと背負われている。別にこれと言って屈む必要もない・・・これくらい・・・たかが知れてるさ・・・(・・)太陽が焼け付く。カクリアイネンの背中が汗ばんできた。・・・別に重たくも何ともないが、こんな陽気じゃ汗も掻くさ・・・もう四分の一くらい歩いた・・あそこに刈り機が見え隠れしてる。本当に重たくないのかい、と後ろで商人が尋ねる。「別に・・・こんなの大したことないさ・・・。」少し足を速めて、袋を引き上げた。二人は麦畑に足を踏み入れた。暫くすると、商人は立ち止まり、干草人たちと話し始めた。(・・)行くのか、行かないのか、何やってんだ。確かに畑のあっち側って言ったよな、ここまで来て止めたなんてこと言わないだろ・・・こんな遊びでも。(・・)プトキノトコの男は、商人の立ち話を大人しく待ってた。(・・)とうとう、両手で袋を持ち始めたその時、商人の瞳に意地悪い光が過ぎる。片手で持ち堪えなければ!「それじゃあ、行こうか・・・」商人は疲れも知らず、カクリアイネンに声を掛ける。(・・)今度は干草刈り人と話し始めた。ユータスは袋を降ろさない。半額にはもう目もくれず、今はこの駆け引きに勝つことだけが頭にあった。

『プトキノトコ』より

同様のテーマは、マイユ・ラッシラの『蘇生。冒険物語、探求者の物語』(1916)でも見受けられます。主人公ヨンニ・ルンペリがヘルシンキ波止場で放蕩生活を送ります。この主人公を介してラッシラは知識階級者に非難の視線を送り、社会に見捨てられた者の真実の姿を問題視しました。

児童文学に目を向けてみると、ヤルマリ・フィンネは児童新聞「ツバメ」に「キルユネン一族の冒険」(1914-1925)の連載を開始しています。ここでも、社会矛盾が問題に上がり、風刺の対象は官僚、政治的運動、民主主義社会、そして平等観念です。

最後の歌で興奮は爆発した。規模の大きな宴会上で弾けるように。国民は偉大な和解と平等を歌い、一丸となった。"我等は皆、母の子豚なのだ!"

『キルユネン一族の冒険』より


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