KIRJOJEN PUUTARHA
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独立期~第二次大戦までの文学 |
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20世紀初頭の抒情詩フィンランドにおいて最初に名を馳せたフィンランド語詩人はエイノ・レイノです。カレヴァラ・テーマに根差した『聖霊降臨祝歌』(1903,1906)は、彼の代表作品の一つに数えられます。レイノの他に、女性の官能的体験を表現したL.オネルヴァや強烈な短詩を書いたユハニ・シルヨは、フィンランド語抒情詩界の視野を広げました。主観主義、ファンタジア、そして新世界との対話がフィンランド抒情詩に流入したのです。言語の構成上は西洋の韻律に適合させる事に何の問題はなく、定型詩の型を破りつつ単語の配置を変移させました。後に、この単語配置に現代詩の誕生を窺うことになります。 作品にフィンランド語抒情詩の発達過程が見受けられる詩人は、V. A.コスケンニエミです。第一次世界大戦前に、中世ギリシャと民族テーマを融合させ名声を博しました。1920年代に至ると、詩人としての名声によってトゥルク大学教授に選ばれているほど、コスケンニエミの名前は広く知れ渡る所となりました。フィンランド独立後には、新しく果敢なテーマに挑戦し、愛国色の強い「旗唱歌」を発表しました。1920、1930年代にはフィンランド随一の詩人となります。愛国的テーマは、ルーネベリ的で雄々しさが全面に出ている戦争詩集『雪の轍』(1940)で終止符を打ちます。古くなった理想が脆くも崩れ、また新たな見解も旧愛国テーマにそぐわないことに落胆したからだそうです。
ヘルシンキ出身のフィンランド語文芸グループ「松明持ち」(1928-1930)は、西洋で興 隆した表現主義と未来派を代表します。このグループは民族的な解放を強調し、兄弟愛思想に昂揚しました。カトリ・ヴァラやウリュヨ・ユルハ、アルヴィ・キヴィマーやオラヴィ・ラウリ(オラヴィ・パーヴォライネン)、そしてP.ムスタパー(マルッティ・ハーヴィオ)は、松明持ちのメンバーです。(参考までに、松明持ちのモットーだと思われがちである「ヨーロッパへの扉の開放(Ikkunat auki Eurooppaan)」はスウェーデン系フィンランド人エルメル・ディクトニウスの造語です。) その中でもヴァラは際立った存在でした。処女詩集『遠き庭園』(1924)は新フィンラ ンド抒情詩の先達となりました。テーマ的にも形式的にも自由韻律を使用し、これは新フィンランド抒情詩を予期させるものとなります。
抒情詩人の多くは忘我と恍惚に耽溺するのですが、これは人生の賞賛や生命力を意味する表現主義や生気論に関連しています。この生命への恍惚は、1920年代に叫ばれた肉体崇拝「理性は嘘を突くが感情は正直だ」と結び付きが見られます。 1910年代にヨーロッパでダダイズムが興ります。ダダイストは人間の本質が断続的な精神の革命と無秩序であるとみなし、反理性や反道徳を標榜しました。松明持ちの一員であるパーヴォライネンの作品『現代を求めて』(1929)では、理屈よりも感情と体を重視しています。いわゆる生気論で理性よりも本能に重きを置いているのと同じです。松明持ちやパーヴォライネンには、ダダイズムや表現主義、未来派に生気論、また大都会やロマン主義などが交錯していました。ロシア革命は自由と平等への扉を開け、またアメリカ文化も影響を及ぼしました。松明持ちの指標は、つまり変化と外来性であり農耕思想は対象外であったようです。 ミカ・ワルタリの作品に現れているように、グループは国際的な人類の兄弟愛、すなわち博愛主義を提唱しました。このようなテーマを目指した著名な作家は、ウーノ・カイラスとウリュヨ・ユルハです。
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