【抜粋訳:pp.30-42】
ミミナグサはおかあさんのリュックのなかにある。さっき、おかあさんが、発泡スチロールをはずして、リュックのなかに入れていたのを見たから。だから、きっとミミナグサはリュックの底でぽろぽろになって、紙には薄っぺらいテープと白い付せんしか残っていないと思う。
(・・・)
おかあさんが先を歩く。もうひとつの小高い山をめざして。ミミナグサをリュックから取り出すと、おかあさんはその場にしゃがんで、岩の上でミミナグサを留めてあった紙を折りはじめた。わたしが追いついて頂上に着いたら、おかあさんは紙ひこうきを空に飛ばした。紙ひこうきは風にさらわれて、山の斜面に沿って海へと滑っていった。ミミナグサはしばらく鳥のように滑空して、そして姿を消した。
おかあさんは秘密、そう思った。わたしはちょっと距離を置いた。だって、秘密はじっと見られるのがいやだから。じろじろ見られると、急いでどこかに隠れてしまう。わたしは、おかあさんと秘密にどこにも行ってほしくないの。
(・・・)
おかあさんとわたしは早めに駅に着いていた。愛車バミの積荷にもよゆうがあったし、寝台列車には出発前から乗りこんでいいってことを、おかあさんは知っていたから。(・・・)わたしが二段ベッドの上で寝るのも、おかあさんはぐらぐら揺れる場所が怖いから。おかあさんはテーマパークにも行ったことがないし、観覧車にも乗ったことがない。おかあさんはいつだって森に連れられて、植物や鳥の観察をしていたの。
「ここは気持ちがいいよ」
わたしはそう言って目をつむった。そうしたら、ミミナグサがさっきみたいに目の前で揺れた。小さく、ふわりと。それを天井めがけてふうっと吹きとばして、くるくる下に回転させて、開いた窓から外へ出した。ミミナグサは家に帰ったの。北極海の上空でふわふわ漂って、じぶんの場所を、じぶんで、じぶんのために探していた。
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