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ムーミン誕生60年の集い-イベント報告 ~ムーミンを見る、聞く、話す~

EVENT 去る8月9日、トーヴェ・ヤンソンの誕生日に、200余名のムーミンファンが集ってムーミントロール誕生60周年のお祝いが、新宿紀伊国屋ホールにて盛大に行われました。舞台に上がった錚々たる顔ぶれに、観客たちはぐいっと前のめりになり、高まる期待と分かつ喜びを噛みしめていました。

まず壇上に立ったのは、フィンランド大使館文化報道参事官リーサ・カルヴィネン氏。トーヴェへの並々ならぬ賛辞を述べられると、次に白い上下スーツを軽やかに着こなしたトーヴェの姪ソフィア・ヤンソンが颯爽と登場しました。小麦色の肌に金髪が美しいソフィアは、トーヴェの弟でムーミンコミックスの右腕であったラルス・ヤンソンの娘です。そして、祖母と孫の物語を綴った児童小説『少女ソフィアの夏』のモデルでもあります。その細面のすっとした輪郭は、どこかしら遠いトーヴェを想起させるようでした。笑みを湛えながら、慈しむようにトーヴェの人生を語り始めました。

彫刻家の父ヴィクトルとイラストレーターの母シグネという芸術家の両親をもったトーヴェが、同じ芸術の轍を歩むことは自然の流れでした。政治風刺雑誌『ガルム』のイラストを飾り、やがては「わくわくするような冒険物語を書くことで戦後の苦しみを忘れよう」とムーミン童話を執筆することになります。当初、サイン代わりとして描いたムーミントロールは、海を越えてイギリスの「イブニング・ニュース」紙のコマ漫画にまで登場するようになります。そして、2000人以上もの読者を魅了してきたのです。しかしながら、あまりの作業の多忙さに、本来の仕事ができなくなってしまったため、弟のラルスに一任することになったのでした。

ムーミン童話第一作目となる『小さなトロールと大きな洪水』が1945年に刊行されから、数十年間の絶えない人気のなかで『ムーミン谷の冬』を書き上げます。そして、それ以降は「ムーミン谷という小さな世界を越えて」大人向けの小説を書き始めます。生涯で、トーヴェが執筆した作品は25冊に上りました。

Muumilaakso 世界のあちこちでムーミンが有名になればなるほど、それがトーヴェの肩に重たくのしかかってくるようになります。そして、トーヴェは次第に公の場に姿を見せなくなりました。トーヴェの拠り所となったのは、幼少時代から夏の思い出に煌めきを残してくれたフィンランド多島海でしょう。島の風景や美しくも厳しい自然は、トーヴェにとって特別な存在であり続けたのです。「子ども時代が、あんなにも幸せでなかったら、本を書くこともなかったかもしれない」とトーヴェが語ったように、生涯を通して、海はトーヴェにとって尽きることのない好奇心と愛情を抱かせるものだったと、ソフィアは言いました。そして、このソフィアにとっても、トーヴェは特別な存在でした。「おもしろい話を次から次へと話してくれる」特別な伯母だったと。

ソフィアの余韻に浸るのも束の間、割れんばかりの拍手のなか現れたのが、ムーミンの声で親しい岸田今日子さんでした。その比類なき語りは、新刊『ムーミンのたからもの』の朗読とともに、観客全員の心を捉えました。また、貴重な初公開映像(フィンランド国営放送YLE制作ドキュメントを編集したもの)をスクリーンに映しながら、トーヴェ・ヤンソン作品の研究家である冨原眞弓氏の丁寧な解説とともに堪能しました。

時を越えても普遍的なテーマを有したムーミン童話。恐怖と安心が混交したムーミン谷は、ときに現実から逃避するために生まれた世界だと言われることもあったそうですが、トーヴェはこう答えました。「ムーミン谷は新しい世界への旅立ちなんです」と。

芸術家と作家としてのトーヴェ・ヤンソンについて詳しくは『ようこそ!ムーミン谷へ』(講談社)を、トーヴェと島の関係については『おとぎの島』(タンペレ市立美術館)を参考にしてください。


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