【抜粋訳:pp.74-94】
カウンセリングは家族療法から始まった。妻のテルヒが望んだからだ。でも、無駄足だった。男嫌いの女性カウンセラーなんかに全幅の信頼はおけない。それ以来、セラピーセッションに誘われても同意しなかった。それでもテルヒとこれからもやっていきたいという気持ちがあったし、彼女の希望でウケという男性のカウンセリングを受けることになった。病気休暇はだいたい半年をみているけれど、半年後に同じ職場に戻れるとは思っていない。
ナラティブ・セラピーは、じぶんがなんであって、どういうことが結果として起こるのか、そんな答えを出してくれる解決志向的なセラピーだ。物事をいろいろと語ることにぼくが同意するなら、もう一度やり直してみてもいいとテルヒが約束した。語る?物事を?いろいろと物事を表現するように、その人の問題を外在化すると言っていた。外在化なんて味気ない言葉なんかより、もっと別の用語を考えてもいいのに。でも、同じ言葉をウケも使っていた。
(・・・)
「物語療法だから、物語と問題から逸れないようにしようか」
「わかった」
「向き合う姿勢が大事だよ。それで行き詰まる場合もあるからね。クライアントの望む方向に物事を進めていこう」
「それでいいよ」
(・・・)
毛布をかぶっていてもブンブンと音がする。枕のなかからもザワザワと大きな羽音が立つ。ベランダと部屋を行ったり来たりしても、摩擦音は止むことがなく、とうとうぼくは毛布をベランダに投げてしまった。ゴミ袋からシーツを取りだして、死体の防腐保存処理を待っているみたいに寝転がった。何回か、外に投げだした枕と毛布を中に入れてみたりしたけれど、音はずっと鳴っていた。
(・・・)
「ぼくは椅子と関係があるんだ」
「えっ?」
「椅子と関係をもってるんだ」
「椅子はなにかのたとえかい?もうすこし詰めてみようか、どんな物語とつながりがあるんだろう?椅子はだれのことかな?」
「椅子は椅子だよ、芸術作品でもなんでもない」
「そのまま続けて」
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