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Kädettömät kuninkaat    原書名:  Kädettömät kuninkaat
 (地下王国)
 作者名:  Johanna Sinisalo, 1958~
 ヨハンナ・シニサロ
 出版社 / 年:  TEOS / 2005
 ページ数:  366
 ISBN:  9518510466
 分類:  小説
 備考:  Möbiuksen maa

【要約】

怪奇談やファンタジー作品を得意とするSFファンタジー小説家ヨハンナ・シニサロの短編小説集。1985年から2004年までに文芸誌などで発表された小説を一冊にまとめた作品集には、シニサロの作風が成熟していく様子が見てとれます。

近い将来を見通す力をもつサーメの血を引くアイラが見たエティアイネンとは?コズミック・ホラーの巨匠H.P.ラヴクラフトのクトゥルー神話をキャッチコピーに活かした広告宣伝マンの狙いとは?北欧神話に伝わる熊の花嫁はなぜ処女でなくてはならないのでしょう?自閉症の少女とイルカの感応的な交流やトッド・ソロンズのドールハウス的な少女が抱く嫉妬と苦悶とは?

シニサロの数々の作品(叙事詩カレヴァラをモチーフとした小説『英雄(Sankarit)』(2003)など)には、古代に生きた常民の習慣や民間に伝わる伝説や神話を背景として取り入れたものが多く、それがひとつの現実世界の歪みとなって恐怖心や好奇心を煽る効果を発揮しています。その歪みは、豊かなダイアローグとモノローグ、臨場感迫る述語表現、そして伸びやかな文体に乗って、現実の問題を浮き彫りにしていきます。

アイラは夫の束縛と暴力を予知し、広告マンは集団行動や購買欲を人の潜在意識と結びつけ、古代文化の女性像は現代人にとっての未知なる自然として描かれます。シニサロの世界が凝縮された短編珠玉集。

【抜粋訳:pp.249-256】

「エティアイネンって呼ばれていてね、先のことを予知できる人は、サーメじゃあっちこっちにいたわ。まるで電話が鳴るみたいにわかりやすくて鮮明だったって、アスラグおばあちゃんは言ってたかしら。いきなりドアがギィと開いたり、物が棚からポトンと落ちたりするでしょ、そしたら、おばあちゃんはシーツを風通して、ベッドメーキングして、コーヒーを沸かして、塩漬けしておいた保存肉を水でもどして、そうこうしているうちに、だれかが来るの。それだけ。ドアを開けながら、来ると思ったっておばあちゃんは言うだけ」と、アイラが言った。

「すごいわねぇ。それがこんな大都会のどまんなかでも起こってるなんて」と、アイラの家に遊びに来ていたレイラカイサが感心したように言った。

「はやまらないでよ。だって、潜在的に起こってることかもしれないじゃない。主人のヘンッカが、会議が早く切り上げられることについて、なにかのついでに言って行ったのかもしれないし。それに、あたしは彼のフライトの時刻も暗記できるくらい何度もチェックしてるのよ。だから、そういった情報が無意識にくっつきあっただけで、ヘンッカが乗ってくる飛行機が推測できたのよ。人間の脳の働きっていうのは見当がつかないこともあるわ」

「じゃあ、あの音は?まるでドアが動いたみたいだったじゃない」 「気圧の変化よ。二階には通気孔が閉まっていたわ。そのせいよ」

(・・・)

「あたしはただヘンッカがもうすぐ帰ってくるって知ってるだけ。玄関がギィと軋んで、カチャリと鳴って、だれかが鍵を鍵穴に入れたみたいな音がして、ドアがわずかにぐいっと押されたような感じ・・・、というか空気が部屋のなかをすうっと通りぬけたような・・・というか、笑わないでよ、もう。それで、あたしはコーヒーメーカーのスイッチを入れるのよ。たまにキッチンの窓からだれかの影を見るときもあるわ。レイラカイサも覚えてるでしょ、玄関脇にちらりと見えた人影。だれかがささっと表で動くと、直感的にはっとして視線をあげるのよ」

「ワオ。アイラはエティアイネンを見たこともあるわけね!」

アイラは遠慮がちに微笑むと、肩をすくめた。

「空を飛んでる鳥の影だったのかもしれないわ」

「なんであれ、少なくとも偶然ではないわ。もう一回でも起こったら、まちがいないわね。(・・・)あたしには持論があるの」

「どんな理論よ」

すると、レイラカイサは夢見るようなうっとりした表情を浮かべてこう言った。

「あなたたちの愛よ」

アイラはなにも答えない。

レイラカイサの目は潤んできらきら光っている。

「だから、ヘンッカが帰ってくるときがわかるのよ。ヘンッカのときだけ。二人の間には自然の摂理すらも越える情熱があるんだわ」

マグカップの底にはほとんどコーヒーは残っていなかった。陶器のカップは緑色を帯びてずっしり重たく、汚点ほどのわずかなコーヒーを、アイラは何度も何度もスプーンでかき混ぜた。

文/訳 末延弘子 ヨハンナ・シニサロ著『地下王国』(2005)より


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