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Teemestarin kirja    原書名:  Teemestarin kirja
 (水の記憶)
 作者名:  Emmi Itäranta, 1976~
 エンミ・イタランタ
 出版社 / 年:  TEOS / 2012
 ページ数:  256
 ISBN:  978-951-851-443-8
 分類:  小説
 備考:  

【要約】

 極地の氷河は溶け、雪や氷の冬はもはやなくなった。海面は上昇し、陸とともに多くの都市が沈んだ。石油は涸れ、亜熱帯の太陽が唯一の天然資源となった。資源や技術が涸渇した灰色の時代を経て、森や水は今、軍事政権の厳重な監視下に陥っていた。

 ラップランドの僻村で暮らすノリア・カイティオは、茶人であった父の跡を継ぎ、茶事の亭主として生計を立てていた。茶人は、水を守る人であり、水に奉仕する人だ。ラップランドの丘陵の洞窟には、人知れぬ源泉があった。そこから水を引いて茶会でもてなし、あるいは水を止めて水が尽きぬよう、茶人は静かに守り続けてきた。水は誰のものでもない。茶をもてなす場では誰もが皆、等しくある。そんな水の記憶を、父の死後、ノリアは代々の茶人がそうであったように、受け継いでいこうと決意する。

 水を隠すことは犯罪だった。違法に配水管を引き、水を得た住人は銃殺される。軍隊による水の検閲が強化され、ついには水が配給制になると、村で病が蔓延し始めた。友人サンヤの熱病を患う妹のために水を運ぶノリアに、軍隊は疑惑の目を向けた。

 村には、プラスチックの墓地がある。それは、灰色の時代に先だつ前史時代の廃墟だった。そこで発見したCDには、「失われた国々」に生きたヤンソン探検隊による水の所在が記録されていた。やがては涸れる丘陵の源泉を前に、過去の痕跡に希望を託し、ノリアは水を探す決心をした。水を守るということは流れを止めないということだ。始まりのための終わりであるために、ノリアは未来に水の記憶を残していく。

 静かに、けれども確かに流れ続ける緊迫感と希望を失わない本書は、テオス社ファンタジー・SF小説大賞およびカレヴィ・ヤンッティ賞を受賞した。

【抜粋訳:p.225, pp.29-30】

 水はあらゆる元素のなかでも変化に富んでいる。恐れず火に燃え、空に消える。怯まず雨となり、険しい岩に砕けて地の闇に沈む。水はあらゆる始まりと終わりの彼岸にある。変化は表面にない。深淵だ。水は地下深くに隠れ、柔らかい指で石を負かし、ゆっくりと密やかな空間を自らに整え、新たな轍を作っていく。
 死と水は共に結ばれた同盟者だ。私たちはそのいずれでもある。なぜなら、私たちは水の可変性と死の隣接性でできているからだ。水は私たちのものではない。私たちが水に属するのだ。水が、指や毛穴や体を貫き流れ落ちるとき、大地と私たちを分かつものはもはやない。

 私はサンヤとプラスチックの墓地をしばらく歩いていた。だが、見つかったのは、ありふれたガラクタ、壊れた玩具、判別できない欠片、使えない容器、カビの生えた膨大なビニール袋の残骸だった。村に帰ろうと踵を返した私は、サンヤにこう言った。
「プラスチックの墓を底まで掘り返したい。そうすれば前史時代のことも、このすべてを投げ出した人たちのことも理解できると思う」
「その人たちのこと考えすぎよ」
「サンヤだってそうよ。そうでなきゃ、ここに来ないでしょ」
「考えてなんかない。私が考えているのは、その人たちが作った機器だけ。どんな技術を持っていて、何を残したのか。それだけよ」
 サンヤは口をつぐむと、私の腕に手をかけた。袖を通して、サンヤの指一本一本の温もりを感じ、指を暖める太陽を感じ、二つの寄り添う熱を感じた。
「前史の人たちのことなんて考えるだけ無駄よ。その人たちも私たちのことなんて考えてないんだから」

 考えないように努めてはみた。けれども、彼らの世界は私たちの世界に流れているのだ。この現在に、この空に、この塵に。今ある世界が、かつてあった彼らの世界に流れたことはないのだろうか?彼らの一人が、今は干上がった傷痕でしかない川岸に立っている様子を、私は想像した。若くもなく、かといって老いてもいない、明るい茶色の髪をした女性、あるいは男性。性別はどうだっていい。その人は迸る水を見ている。水は濁っているかもしれないし、澄んでいるかもしれない。あるいは未だ存在していない何かが、その人の思考に流れているのだ。

 私は空を見上げた。光を見て、大地の形を見た。彼らの世界と同じであってそうではない。けれども流れ止むことは決してないのだ。

文/訳 末延弘子 エンミ・イタランタ著『水の記憶』(2012)より


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