KIRJOJEN PUUTARHA
フィンランド文学情報サイト

 

 tunnus おすすめ作品

Lopullinen totuus. Kaikesta    原書名:  Lopullinen totuus. Kaikesta
 (最後の真実。すべてについて)
 作者名:  Kai Nieminen, 1950~
 カイ・ニエミネン
 出版社 / 年:  TAMMI / 2002
 ページ数:  105
 ISBN:  9513125807
 分類:  詩集
 備考:  

【要約】

真実とは、はたしてなんでしょう。そして、どこにあるのでしょう。じぶんのなかで疑いえない、消しえない、確かな真実。それは、「じぶんにむかって演奏する」ようなものであり、美しく在ろうとするもの。そして、じぶんのなかだけではなく、同じひとつの現実やひとつの世界に生きる他人と関係しながら、その真実を、問うて試し、試して問いながら、たがいに高揚してゆくもの。真実を探しながら、じぶんの在り方を考える一冊です。

【抜粋訳:p. 17, 18, 19】

p.17

原子、僕らの友だち

原子は見えないのに、原子の存在を僕はなぜ信じているのだろう。神だって目に見えないから信じていない。僕が目にするものはすべて原子でできている。一方で、僕が目にするものすべては神が創造したものだ。原子は神のように慈悲深くない。原子は何十億とある。神もおそらくそうだろう。きっと神の姿を見ることもあるだろうけれど、僕に神が見えたとして、はたして僕は神を信じるだろうか。僕は決して無愛想でも無関心でもない。クールで熱い。今まで生きてきた人生で、神のことはたくさん思ってきたけれど、原子のことになるとさっぱりだ。ここに存在する原子は、僕が閃いたものではない。僕に教えられたものだ。ここに存在しない神だって、教えられたものだ。それなのに、僕は神を頭のなかで考えてきた。神は閃きであって、脳の活動だ。それでも存在する。もし、神が物質的に存在していたら、神を認識できないし、神は存在しない。他人の信心のなかで僕は生きない。僕が死んだら、僕の肉体はばらばらになる。他の人がなにを信じようが僕は存在しない。僕は原子を借りている。おそらく神が僕に貸してくれたんだ。そうすれば説明がつく。神は宇宙の原子バンクだ。原子は、形だけの遠い友だちだ。ほんとうに原子は存在するのか、そんな官能的な夢に僕はもっと躍起になる。

p. 18

果てしなく成長できるものなんてない。少なくとも宇宙より速くは。結局、宇宙はとてもゆっくりと膨張している。人間が生きるよりゆっくりと、投資金が結果を出すよりもゆっくりと。もっと速いスピードで膨張すれば、みんな宇宙に投資しているのに。

宇宙を超えられるものなんてないけれど、そういうのもあると信じたい。成長は永遠だと信じたい。目の前で有機物が生まれ、成長し、枯れて、死んでゆく。無機物は生まれもしなければ消えもしない。だから、有機物は成長し、減少し、成長し、ふたたび減少するものだと僕らは思っている。ところが、死んだものは、ひたすら成長し、前進し、成長し、前進して、僕らはそこから宗教をつくってしまう。永遠の眠りに就いたものは永遠に生きつづけ、利子を上げる。刹那を生きている僕たちは、自分たちが死ぬ前に利子をはじき出しておきたい。あらゆるところに入りこんで、どんどん膨らみつづける生命のない成長に窒息死してしまう前に。

神の慈悲から果てしなく成長するものが一つある。それは、宇宙よりも速く膨張する。僕らの愚かさだ。僕らはそれすら気づいていない。そこに慈悲がある。幸いにも僕らは盲目だ。もし目に見えていたら、僕らは狂ってしまう。僕らは愚かであって、まだ狂っていない そう信じている、そう信じたい。

p. 19

毎日毎日 洞窟に落ち葉が集まってくる
毎夕毎夕 葉っぱの山を気に入った形に整えるのも辛くなる
毎晩毎晩 寝苦しくなる

洞窟が落ち葉でいっぱいになって どうにも眠れなくなると
木の根っこでまんじりともせずに ちくちく刺さる針葉樹のうえに横になる
星はなんて煌々としているんだ 夜鳥の叫びはなんて神秘的なんだ

訳 末延弘子 カイ・ニエミネン著『最後の真実。すべてについて』(2002)より


おすすめ作品の目次へ ▲このページのトップへもどる