【抜粋訳: pp.76-77】
花嫁の母
妻になる女性と自分はどんな人生を送るのか前もって知りたければ、花嫁の母を訪ねて、徹底的にその本棚をチェックするといい。そうすることで、花嫁がなにから逃げようとしていて、どんな人生をこれから歩んでいくのかわかる。どこから来たのかわからない人間が、どこへ行こうとしているのか知る由もないのだから、これが唯一の手段である。
花嫁の母の本棚と花嫁の本棚を比較してもいい。母親の本棚にオリアナ・ファラチの本ばかりがずらりと並んでいて、花嫁の本棚には白鳥の陶器の置物があった場合、花嫁は明らかに急進的なフェミニズムから解放されようともがき、もっと保守的で控えめな自分を求めようと躍起だ。ところが、つるりと滑らかな白い陶器の白鳥が母親の棚にあり、ファルチが花嫁の棚にある場合は、花嫁はしきたりから逃れようともがき、自分を従順に育てた母親を責めながら、女性の地位を知らしめたいと思っているはずである。
本棚の比較研究は面白いが必要ではない。というのも花嫁の本棚というのは、最終的には無意味であるからだ。一般的に、窮屈な実家から必死になってもがき、母親とは違った人生を歩むと誓ってからも、実家と寸分違わない狭苦しい状況を再構築するために、わが家を建てている。唯一の不可欠な情報源は、花嫁の母の本棚ということになる。つまり、花嫁のそらおそろしい出自がわかれば、自分のそらおそろしい未来も見えてくるというわけだ。
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