KIRJOJEN PUUTARHA
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ロシア大公国時代の文学

長い間スウェーデンの支配を受けていたフィンランドは、1809年から1917年まで今度は東の隣国であるロシア大公国の自治領となります。このロシア大公国時代と呼ばれる時代に、独自の文学機関であるフィンランド文学協会(Suomalaisen Kirjallisuuden Seura)が1831年に設立されたり、三人の偉人と称される人物が登場したりと、フィンランドの文芸文化は飛躍的に発展を遂げます。この時代についていくつかの項目に分けて記述していますので、お好きな項目を右のメニューより選択してください。

なお、人名や書籍は読みやすいように日本語に訳して記載しています。

原語名は下記の索引を参照してください。

■ 索引
■ 参考文献一覧


国民の姿を求めて‐ルーネベリ

Johan Ludvig Runeberg レンロートは、フィンランドの古代を創造することで国民文化を追い求めました。時を同じくして、現実の民衆の社会を詩に描き出すことで、学識者や上流階級にその文化を根づかせようとした人物がルーネベリ(1804-77)です。

処女詩集『詩』(1830)に収められた叙事詩風詩篇「田園詩と警句1~27番」は、ルーネベリの傑作とされています。この詩篇は、フィンランド内陸部サーリヤルヴィに暮らすパーヴォを介して、民衆の勤勉さを造型しており、ルーネベリの観念的現実主義が垣間見られます。つまり読者は、詩人または作家の創り上げた像を介して観念世界に辿り着くという考え方です。ルーネベリは、大衆文化を伝達することに加えて、日常生活でも人生の尊さや自然界の力に対する人間存在の葛藤について物語っています。

観念的現実主義がよく現れている詩は、「田園詩と警句二五番」です。農夫パーヴォの収穫する姿と神の恩恵を願う姿が詩に描写されており、観念と物質の互恵関係が現実としてよく現れています。

サーリヤルヴィの荒野にて
霜降り立ちぬ荒野にて
農夫パーヴォは暮らしけり
沼地を起こし 鍛えた腕で精を出す
神の恩恵 願いつつ
妻と子と わずかな糧を口にしぬ

額に汗を浮かべては  水路を敷いて 
鋤を入れて 刈り入れる
春の雪消は 麦を半分持ち去って
夏の霙は 穂先を半分なぎ倒し
秋の霜は 残した糧を根こそぎ奪い去る

「田園詩と警句」より

この詩には、フィンランド農民の生活が肯定的に描写されています。今までの牧歌的な田舎像から、「英雄的な田舎像」へと読者を導いています。このようなルーネベリの見解は、家庭教師としてフィンランド内陸部で過ごした自らの経験に基づいています。1832年にヘルシンフォルス・モルゴンブラッド紙 に、「サーリヤルヴィの自然、民の気質及び生活様式について一言」と題した記事が掲載され、内陸部の住民について肯定的な姿勢が窺えるなど、ルーネベリの打ち出した田舎の姿はフィンランド国民に影響を与え、ここから地域性を表した様々なフィンランド人気質が定着していったようです。

処女詩集出版以前にルーネベリは、六歩格を用いた詩「大鹿狩り」で、フィンランドの地方農民の生活を描写しています。この詩は後に、ルーネベリ自身が代表作と自負している六歩格小叙事詩『大鹿の狩猟者たち』(1832)へ発展します。『大鹿の狩猟者たち』は民俗学の研究書のようなものであり、フィンランド国民がどのように暮らしてきたかが述べられています。ルーネベリにとって国民描写の重要な点は、フィンランドの地方農民たちが良識のある市民であるということを表現することでした。地方農民は都市からの影響を受けずに自然と共生し、行動的で機転が利き、自立した生活を送っているというものでした。 また、法律や規則なしに自然界と調和しながら生活するという解釈を農民に与えています。

1846年から60年にかけてルーネベリは、出版社側の要請で政治的叙事詩作品『旗手ストールの物語I-II』を手掛けます。この作品は、スウェーデンとロシアがフィンランドを賭けて争ったフィンランド戦争(1808-09)の悲惨さを、フィンランド人の立場から書き記したものです。政治的意義としては、ヘーゲル哲学に見られるような倫理的な国民精神を構築することでした。つまり、政治に依存している人々に敬虔性を伝えることであったようです。『旗手ストールの物語』では、まず敬意と名誉を重視することが挙げられ、次に国民の利益よりも自分本位な当時の政府に信頼性がないことを示しています。また、『旗手ストールの物語』に含まれる「我が祖国」より、今日のフィンランド国歌が作られています。

我が祖国 芬蘭よ 母なる国、
響け 言の葉よ!
谷よりも 丘よりも、
水よりも 岸よりも、
愛すべきはこの北の国、
気高き国よ 我が祖国。

幾千たる湖に
煌々たるは夜空の星
カンテレの旋律は
岩間を抜けて木霊する
喨々たるは金色草に生える松
ああ スオミの国よ

J.L.ルーネベリ『我が祖国』より

アレクシス・キヴィ『スオミの国』より

このように、ルーネベリがスウェーデン語で表現した国民像(民衆像)は、知識階級や高級官僚の間に浸透していき、ルーネベリは国民詩人と称されるようになっていきました。ルーネベリのような観念的な情景は、後にアレクシス・キヴィ(1834-72)などのフィンランド語作家に受け継がれていくことになります。


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