KIRJOJEN PUUTARHA
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終わりと始まりのあいだ

月までサイクリング  

 マウとバウの家は、池と森のあいだの丘の上にありました。私の家は、丘をつらぬく緑道の終わりにあります。  家に至るまでに橋が三本かかっていて、私は二本目と三本目の間の道が気に入っています。春は一重や八重の桜で匂いたち、夏は紫陽花やケヤキの青い樹間をくぐりぬけ、やがて蝉の歌でいっぱいになると、秋には風が金木犀を運んできて、石だたみが黄いろや赤に染まり、冬をまえに氷雨がふって、山茶花が夜道を照らす、そんな緑道の終わりと始まりを歩いてきました。

 私はこの緑道を行ったり来たりしながら、たくさんのことに出会いました。道の終わりと始まりのあいだで、花が春に咲いても秋には枯れて冬に散るように、形あるものはすべてなくなりました。でも、残ったものがありました。それは、花は美しかった、という感動でした。物は所有できるけれどいつかは消えてなくなります。けれども、見たこと、聞いたこと、触れたこと、これらはいつまでも消えることなく、胸のなかで輝いています。それは形がないからこそ、ずっと輝きつづけるのかもしれません。

 マウとバウの空色の家がなくなっても、二人の自転車がなくなっても、このように輝きつづけるものは何だろうと考えました。それはきっと、空色の家で育まれた思いやりや、月までサイクリングした友情なのだと思います。

文:末延弘子 『月までサイクリング』(2012、文研出版)より


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