KIRJOJEN PUUTARHA
フィンランド文学情報サイト

2011栃木子どもの本連続講座

2011栃木子どもの本連続講座「子どもに読書のよろこびを」北欧の子どもの本(7月16日)

末延弘子

フィンランド文学に触れて ― 耳を澄まして聞こえたもの

自然の声

フィンランド文学を翻訳し始めて十年余りになります。数冊をのぞいて、訳したい本は自分で選んで出版社に持ちこみました。私はなぜこれを選び、訳したのだろう。ここ数年、そんなことを考えるようになりました。訳書は私の感動の形です。フィンランドの景色を借りて、私は自分の世界観を表してきたように思います。外の声に耳を澄ましながら、内なる声を聞いてきました。その声とはいったい何だったのか。後半のお話は、いつもより長い訳者あとがきになりますが、お時間を許していただけると嬉しいです。

子どもの頃、父が読み聞かせをしてくれました。日本の昔話にグリムにアンデルセン、いつも同じだと(読み手の父のほうが)飽きるからと、父が創った物語もたまにありました。とても不思議なのですが、一人で読むよりも読み聞かせをしてくれたときのほうが、お話が鮮やかに立ち上がりました。何度も繰り返し読んだお話はもちろん覚えていますが、そうでないものの多くは父の声とともに今でも体に沁みこんでいます。

編集者の松岡正剛(1944-)さんは、分かるとは声を自分の体に震わせることで、言葉や文字の本質から声を抜いてはならない、と言います。15世紀ドイツでヨハネス・グーテンベルク(1398-1468)が活版印刷術を発明して以来、書物は音読ではなく黙読するものになりました。目で情報が読めるようになったけれど、意味が立ち上がりづらくなってきた。意味は声に出してこそ形になる、と言ったのは真言密教僧の空海(774-835)でした。空海はそれを声字と言いました。たしかに、一人で黙って読むよりも、読み聞かせのように声が介在しますと、文字と意味がぴったり合って本当になるような気がしました。

文字のなかった古代は、祝詞や呪文が巫女の声とともに本当になりました。言葉は情報を伝える単なるツールに留まらず、もっと本質的だった。本気の言葉だったと思います。文字学者の白川静(1910-2006)さんはそれを呪能と言いました。呪能とは文字本来の力、文字自身が働きかける力、つまり言霊のことです。白川さんによると、言の口(サイ)は祝詞や呪文を容れる器を表しているそうです。その器は、神への祈りを容れるためのものでもありますが、神からの大切な言葉を受け入れるものでもあると思います。

大切な言葉というのは、おのずから見えてくるものではありませんでした。尋ねるという行為があってこそ、その所在は明らかになる。「尋」という漢字には、右手と左手のサインがあります。右の口は大切な言葉を容れる器を、左の工はそれを呼ぶ呪具を表しています。両手を少し高く掲げて、見えない神意に耳を澄ます。受け入れることは聞くことであり、聞くことによって初めて大切なものが見えてくるわけです。

巫女というのは大切な言葉を尋ねる者であり、物や事の起源や由来を知っている賢者です。こんなふうに物事の起源を知っているお話がフィンランドにあります。フィンランドの国民的叙事詩『カレワラ』(1835,1849)です。日本の古事記のように天地開闢に始まり、大気の乙女の膝に産み落とされた卵からワイナモイネンという英雄が生まれました。生まれながらにして老人で、詩人でもあり、フィンランドの竪琴、カンテレの奏者でもあります。ワイナモイネンが琴を奏でると生きとし生けるものたちが涙します。それはきっと、ワイナモイネンを通して、あらゆる存在の根源であり発露である自然の声が聞こえたからでしょう。

かくワイナモイネンは弾き、
その竪琴は高らかに鳴り、
山々は揺れ野は鳴り響き、
岩の山々みな鳴り響き、
湖水の中にて石はみな揺れ、
水の中にて礫は動き、
松の林は喜び騒ぎ、
樹の切株は荒れ野に踊りぬ。

(森本覚丹 訳『カレワラ(下)』(1992)より)

山川草木森林湖沼

『カレワラ』の世界では、森や湖に神が宿っていて、鳥も獣も人も通じあっています。これは日本人の自然観と同じだと思いました。山川草木すべてに仏性がある、というのは密教由来の考えですが、日本の原始信仰があってこそ受け入れられたものだと思います。鳥のさえずりにも、木のざわめきにも、雲の流れにも神性なものが宿っていて、どの現象も私たちと同じ一つの根本を持っている、といった考えです。

日本人にとって、自然は単なる風景ではなく「一つの思想(白洲正子)」です。つまり、それは生活の一部であるということです。自然はときに嵐となり台風となり雷雨となって荒々しく振る舞いますが、暮らしを豊かにしてくれる母性でもあります。恵みを与えてくれる水や山を遥拝し、それはやがて山岳信仰になり、磐座や神奈備といった社を持たない神域になり、神社へと発展しました。日本人にとって、神とは山であり岩であり川であり滝である。あるいは、花であり鳥であり風であり月でもある。とても多様で移ろいやすく、それゆえに見えそうで見えず、とらえ難い。それなのに、冬に立ち枯れても毎年きちんと花や実をつけるように、動かし難い何かがある。私たちは、自然が見せる多様な在り方を見つめ、多様な声に耳を澄ましてきました。

レーナ・クルーンのお話に、冬の温室で熱帯の植物を育てる薬剤師が登場する短編があります。『木々は八月に何をするのか』に収められている一編ですが、植物は人間と同じように意思を持ち、植物の叡智は人間の歴史よりももっと深いということを伝えています。ある日、村の少年アーペリが、恋人アンニーナに珍しい花を贈りたくて薬剤師を訪ねます。アーペリは昔、薬剤師の温室に石を投げて植物を枯らしてしまったことがありました。アーペリの過去の振る舞いを知りつつ、薬剤師はアーペリに自由に花を選ばせます。ところが、アーペリは花が自分を選んでいるような錯覚に陥ります。

 アーペリは、気を取り直そうとした。花の匂いを感じ、水の音を聴いた。鋭い花弁が頬をかすめる。いくぶんかは気分も落ち着いた。花一輪一輪に小さな神が住んでいて、それぞれの花の本当の名前は「無限の生」なのだ。(・・・)白い花が薄暮から優しく、まるで満月のように光を差し込んでいる。(・・・)花がさっと動いた。神妙にアーペリを見つめ、その深い瞳が眩しい光を放っていた。アーペリは後退りした。こんな瞳をもぎ取るなんて自分にできるだろうか?(・・・)花がゆっくりとアーペリの方を向く。その顔は金色の光だった。それは気品溢れる女神だった。

(レーナ・クルーン著「木々は八月に何をするのか」(2003)より)

クルーンは、「人間は自然の一部(2002年2月19日付アームレへティ紙)」だと言いました。道や庭の石も、浜辺の砂も、すべて同じものからできている、と。考えてみれば、私の体も燃え尽きれば木や鳥と同じ炭素だということを思いますと、私は木でもあり鳥でもある。私はこのように自然の一部であり、いつも自然の言葉とともにあった。その言葉を私たちは花鳥風月に重ね、和歌や工芸という方法で伝えてきたわけです。「文化は発達しすぎると、柔弱に流れる。人間は自然から遠ざかると、病的になる(『かくれ里』(2010)より)」と白洲正子さんは言いましたが、母なる自然から離れてしまったら、自然の声が聞こえなくなってしまったら、生活からなくなってしまったら、私たちはどうなるのだろう?科学がもたらしたコンピュータや人工知能は生活の概念を広げたけれど、それは本当に生活と呼べるのか。

では、なぜ、大切な言葉は自然の中にあるのか。なぜ、私たちは自然を神聖視してきたのか。自然は人間よりも先に誕生し、生命の情報を伝えてきました。私という生命はアミノ酸やタンパク質からできているわけですが、その生命の設計図を伝えるために、自然は生き抜いてきました。地球が誕生したのは今から46億年前です。その頃はまだ酸素はなく、炭酸ガスで覆われていました。嫌気性の微生物は海に住んでいましたが、やがて炭酸ガスと太陽の光で光合成するラン藻類が生まれます。この好気性微生物のおかげで酸素がつくられ、オゾン層ができ、植物という生き方が可能になりました。シダやソテツや苔のような裸子植物が葉や茎や根の仕組みをつくると、花をつける被子植物が蜜を出して虫を呼び、生命はさらに多様化して、動物を出現させたのです。

クルーンの新刊『太陽の子どもたち』では、花の配達人をする少女スミレが、花を届けながら、花屋の店主ミス・ホルスマを通じて花の秘密を知ってゆきます。花はなぜ匂うのか。花はなぜ枯れるのか。花が匂うのは人間のためではなく、情報を伝えてくれる虫のためです。花が枯れるのは死ぬためではなく、未来の種を宿すためです。そんな自然の摂理を知っているからこそ、花は美しく尊いことを知るお話です。

「ミス・ホルスマ、地上に花が咲いたのはいつ?」スミレが聞いた。
「それはだれにもわからないわね。でも、水分がたっぷりとれる湿地帯や水際だったことはたしかよ。それから、いちばん日の射すところでしょうね。花は太陽の子どもだから。花は、咲いて、枯れて、葉を落として、朽ちていった。そうして何千年もの月日を超えて、花はますます美しく豊かになった。花のおかげで、私たちもこうやって生きていられるのよ」
「花がなかったら、人間もいないの?花って、そんなに大切なの?」スミレは目を丸くした。
「私はそう思うわ。花屋らしいでしょ?」

(レーナ・クルーン著/末延弘子 訳『太陽の子どもたち』(2011)より)

前半(「フィンランドの児童文学 「ムーミン」からクルーン、フオヴィ、ノポラまで」)で、フィンランド文学には多様な人物が登場し、その誰もが主人公であり、関わり合って存在している、とお話しました。そして、クルーンの「わたしとはわたしたちである」という言葉に集約されると結びました。雨であったり雪であったり、鳥であったり花であったり、子どもであったり大人であったり、みんなちがってみんないいけれど、みんなはみんなの一部でもあるわけです。多様で同時な存在を、フィンランドは『カレワラ』から、日本は万葉から歌われてきたように思います。

ハンネレ・フオヴィの現代童話に「おおぐいきょうそう」という短いお話があります。いちばん大きなおなかを持っている若者がお城のお姫さまと結婚できることを知って、ある三人兄弟が参加することになりました。ただ、末っ子は、家で空や風や花や太陽のことを考えるほうが好きでした。会場の健啖家にまじって、末っ子は赤いリンゴ一つを目の前においたまま食べようとしません。その様子を不思議に思ったお姫さまが、こんなふうに声をかけました。

「どうしてあなたは食べないの?」
「これから食べます。ぼくのおなかはほんとうにふしぎですよ。太陽も、風も、雨も、リヤカー一台ぶんの土も、あっという間にはいってしまうからです」
「まあ!ほんとうにふしぎなおなかね!ぜひ、わたしに見せてください」
(末っ子の)もじゃもじゃは、目のまえのリンゴを手にすると、しばらくじっとながめました。そして、ゆっくりとあじわいながら食べました。
「あら、太陽とかリヤカー一台ぶんの土とかはどうなったの?」
「もう食べましたよ。庭師が土をはこんで、そこにリンゴの木をうえました。その木を、太陽がてらし、雨はぬらし、風が花を美しいリンゴへみのらせました。それを今、ぼくは食べました」

(ハンネレ・フオヴィ著/末延弘子 訳『おおきなポケット 2011年1月号』(2011)より)

意味の行方

前半のお話では、フィンランド語は格変化して全体を考える思いやりのある言語だと言いましたが、日本語も関係性の中に立ち上がる言語だと思います。「私は」なのか、「私から」なのか、「私」の動向は一人では決められない。単独では動けないのです。私がいったい誰なのか正体を突き止めるよりも、何と関わっているのかという述語のほうが大事です。

金田一春彦(1913-2004)さんが言うように、日本語は一定の形を持たない不安定な言語です。「人」を「ひと」と読んだり「ジン」と読んだりするように、音も訓も持ち合わせています。また、書き方もヒトでもひとでも人でもよく、「生命」と書いて「いのち」と読ませたり、「尾花」に「ススキ」とルビを振ったりすることもある。読み方にも表記にも標準も絶対もなく、どれも正しい。「どうぞ」は「お好きなように」なのか「お願いします」なのか、加減は「いいかげん」なのか「よいかげん」なのか、意味の行方は何かと関わってようやく明らかになります。

「私」という主語も向き合う相手によって、そのつど変化します。「わたし」なのか、「あたし」なのか、「わたくし」なのか、「オレ」なのか。上司が来るまで上座に座っていた人が、上司が来たら席を譲るように、立ち位置を潔く転じることができる。あるときは主人になったり、あるときは客になったりと、「私」には曖昧な揺れ幅がある。今ある「私」にこだわらず、「私」ではないものに席を譲る思いやりがある。これが、気配りであり、礼儀であり、日本人が細やかだと言われる所以のように思います。この思いやりに、フィンランド語の格変化を重ねあわせることもしばしばです。

では、なぜ、「私」にこだわらないのか。なぜ、「私」ではないものに席を譲れるのか。前半のお話で、クルーンの昆虫世界の物語に触れ、以前の姿にとらわれることなく自分を更新してゆく潔さを、自然の「移ろう」という営みに重ねました。後半では、そんな無常な自然の中に大切なものがあり、それは耳を澄ましてこそ聞こえてくるもので、思いやってこそ見えてくるものだ、とお話しました。空の思想を説いたインド仏教僧の龍樹は、私が私であることもなく、私が私でないこともなく、その両方であることもなく、その両方でないこともない、と四重に否定し、私を引いてこそ、映しだされる何かが生まれてくると言っています。

先に触れたように、そもそも私という生命は、アミノ酸やタンパク質といった外部の情報からできています。つまり、それらは外から訪れたものです。膨張した宇宙が冷えて、光に滴がつき、星になる。星という水素が核融合してヘリウムになり、炭素になる。炭素が燃え尽きると、やがて進化の果てに爆発し、宇宙へ飛び散ってゆく。その星の欠片がアミノ酸やタンパク質になり、私になったのです。私たちの体の免疫システムは非自己を取り入れて自己を保ち、脳は爬虫類の記憶も鳥の記憶も包摂している。私はこんなにも多くの私以外のものからなっていて、私の細胞は毎日生まれ変わっている。だから、私はこうだ、と言い当てられない。自分で自分を説明できないのです。

免疫学者の多田富雄(1934-2010)さんは、自己は不確定の上になると言いましたが、私は訪れるものに自分の行方を託すことで、私という存在を説明してもらっているように思います。ブーバーの言葉を借りれば、私は出会いによって真に生きている、そんなふうに思います。

未来の種子

先ほど、私が燃え尽きると炭素になると言いました。生命の素である炭素は、星に由来し、光に由来し、宇宙に由来します。その宇宙の始まりは、黒い小さな一点です。真っ暗で何も見えないけれど、空っぽではありません。区別がつかないほど限りない兆しに充ちています。

それはまるで種のようです。種とは、花が残した情報です。それは、命の継承であり、未来の兆しです。その兆しは、ちょっとしたきっかけで形や色になります。水が太陽に触れると水蒸気になり、冷やされると雨や雪になるように、出会いによってさまざまに在り方を変えます。私というのは、光ったり消えたりして文字になる電光のような現象で、とらえることができません。詩人、宮沢賢治(1896-1933)は、私という現象について『春と修羅』でこんなふうに言っています。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電灯の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電灯の
ひとつの青い照明です

(宮沢賢治著『春と修羅』(1997)より)

私の中の種も水や光と出会ってこそ芽吹き、緑になる。その種が、繋がるために割れるのか、離れるために裂けるのか、出会うたびに明らかになります。ブーバーが言うように、私は、あなたとの関係のなかで私になると思っています。私にとって「あなた」とは出会いです。私はいつもそんな「あなた」に席を空けています。そして耳を澄ましています。だからでしょうか、翻訳することも喜びでした。

最後に、先ほどご紹介したクルーンの「木々は八月に何をするのか」の結末をお話しさせてください。アーペリは恋人アンニーナへ贈る花を手折ることができず、温室に石を投げてしまったことを謝罪しました。そして、薬剤師と向き合います。すると、薬剤師がアーペリに手の平を差し出しました。

 そこには、小さなドングリがたった一つだけ乗っていた。
「鉢に植えて水をやり、そして待つのです」と、薬剤師。
「それは樫の実ですか?」と、アーペリが聞いた。
「時計でもあります」と、薬剤師。
「時計?」
「時の時計です。それを鳴らすのです。そこには歴史がごそっと詰まっています。そこには未来への出口があります。それらは、同じ箱の中で一緒くたになっているのです」
 アーペリは、ドングリを鳴らすと微かな打音を聞いた。
「それは永遠の音です。このドングリから宇宙樹が生長します。それ以上に大きな木はありません。二人はその若木を見て、子孫がその木陰に座るのです。八月になるたびに、それは地中深くに根を下ろし、子孫がこう言うのです。『私たちの先祖がこの木を植えたのです』と」
「そう言うんですか?つまり、僕たちのことですか?僕とアンニーナ?」
「まさにその通りです」と、薬剤師が言った。

(レーナ・クルーン著/末延弘子 訳「木々は八月に何をするのか」(2003)より)


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