KIRJOJEN PUUTARHA
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あとがき / カエデ騎士団と月の精末延弘子 見えない宝もの 子どものころ、たいせつなものは、小箱や机の引き出しのなかにそっとしまっておきました。きれいなかたちをした小石や貝がら、色あざやかなリボンの切れはしや模様の美しいレースに胸をときめかせ、宝ものにしていました。そして、小箱のふたや引き出しを幾度となく開けては、宝ものの場所を確認していました。
でも、小箱や引き出しのなかにおさまりきれない宝ものもありました。 虫や花や草や木に触れて発見した喜び。本を読んで知ったおもしろさ。私の世界とはちがう別の世界に向きあって知ったおどろき。手に入れたこれらの新たな空間は、かたちにすることも説明することもできない美しいもので、箱のなかにはどうやっても入りませんでした。 私はそれを、心にしまいました。そして、心にしまった感動を、書いたり話したりすることで、かたちにしてきました。 かたちある小石や貝がらやリボンやレースは、いつ見ても変わらないのに、かたちにできない感動は、語るたびに、そのつど大きくなってゆきました。それはきっと、私のなかだけにとどめずに、たくさんの人に伝えてきたからだと思います。 所有しない勇気。 そんなことを、本書のヒーリヴオリ伝説の王冠はおしえてくれている気がします。王冠の存在はわすれてはならないけれど、見つかってはならない秘密なのです。カエデ騎士団のリスのノコやハリネズミのトイヴォやネズミのイーリスは、王冠がかくされていることを信じて、盗賊団にうばわれないようにしました。ドブネズミ主人は、王冠がだれの目にも触れられないよう守り、王冠が秘密でありつづける意味を伝えようとしました。 たいせつなものは、だれか一人の手に所有されるのではなく、わかちあって伝えつづけてこそたいせつになる、そんなふうに私は思います。 (文 末延弘子 『カエデ騎士団と月の精』(2010、評論社)より) |