KIRJOJEN PUUTARHA
フィンランド文学情報サイト

ひとつかみの無

読み継がれ、愛されつづけてきた本には、なにかしらの共通点があります。それは、なんど読んでも覚える新しさや懐かしさだと思います。新しさや懐かしさを感じるのは、そこにひとつかみの無が入っているからだと思います。ひとつかみの無とは、説明しつくさない余白であって、読み手に語らせるものだということです。

新しさは、ときに風変わりな登場人物によってもたらされます。風変わりな人は目立ちます。型にはまっていませんから、中心から大きく逸れて、ダイナミックで、装飾的で、予測のつかない動きをします。茶器で言うなら、長次郎ではなく織部でしょうか。ちょっと気弱すぎたり、能天気すぎたり。神経質すぎたり、凝りすぎたり。たとえば、ノポラ姉妹の国民的児童書「ヘイナとトッス」シリーズや「リストとゆかいなラウハおばさん」シリーズの登場人物たちは皆そうですし、少女向けの児童小説「レベッカ」シリーズのフィンランド版長くつ下のピッピのような、とびきり前むきな島育ちの女の子レベッカもそうです。島から都会に越してきても、都会の型にはまるどころか周囲を巻きこむ勢いがあります。完璧ではなく、はみだしているからこそ、私はシンパシーを覚えますし、人間的な温かみを感じています。おそらく、それこそが読み手の心を惹きつけているのだとも思います。

かといって、これらの登場人物たちは、はみだしすぎているわけでもありません。ピッピほど超人的な力もちでもなく、お金もちでもなく、奔放すぎるわけでもありません。日常に足をかけながらもひとつかみの無を握っているだけです。しかし、そのひとつかみの遊び心があるからこそ、想像力がとても豊かですし、モノやコトを発見する喜びを知っています。彼らは、目の前で起こる出来事や変化しつづける新しい現実を肯定的に受け入れて、明日につなげる健康的で開放的なアウトサイダーたちです。

新しさとは、つまり発見や感動や想像力のことだと思うのですが、いずれも自分から動いて働きかけないとわからないものです。それらは、モノの豊かさから生まれるのではなく、むしろモノを減らしてできる空間の充実感から沸きおこるような気がします。不完全から創発される想像力といいますか、不足であるからこそ私たちに足す行為を促すといいますか、彼らの周りにあるのは、携帯電話やゲームといったデジタルやテクノロジーの豊かさやスピード性ではなく、それらの根源である自然でした。

では、なぜ自然に向かったのか。自然には科学では説明しきれない神秘があります。0と1では処理できない謎があります。その神秘に触れますと、私たちの心は能動的になり、イメージやユニークさを創発させるのだと思います。フィンランドは、民族的叙事詩『カレヴァラ』以前から、自分たちのルーツや物語の始まりを森と湖のある風景に求めてきました。それは日本人にとっての山水のような場所だと私は考えます。フィンランド人も日本人も存在の仕方が森林型で、森や山の中で沈黙し、イメージと対話を生み、私という存在は多くのお陰で成り立っていると認識する。ですから、自然と対立するのではなく、自然と交渉しながら文化を築いてきました。キリスト教が入ってきた今でも、暦は「種蒔きの月」や「収穫の月」といったように四季の移ろいや農耕生活を語り、人々は森羅万象の動向に敏感です。そして、そこから受ける感動を、言葉や器やデザインという形にしてきました。

「自然は文化の言葉で構築される」とオギュスタン・ベルクは言いましたが、フィンランド人建築家アルヴァル・アールトの揺らぎのある花器やテキスタイルメーカーのマリメッコの花鳥草木のパターン柄は、フィンランドらしさを備えながらも、とてもわかりやすいのは、万人に共通の自然に関わった軌跡や感動があるからでしょうし、とくに花鳥風月という美意識をもつ日本人の心には響くものがあります。

自然に関わっているからこそ現実は移ろうことを、フィンランド人は知っているように思います。情報工学者の杉田元宜さんは「論理の鎖にはぼやけたものが入ってくる」と言いましたが、すべては0と1で決まっているわけではなく、見通しはデジタルで処理できません。スウェーデンやロシアという大国に支配されても、EUという共同体に入っても、フィンランドは、そのつど新しい流れを受け入れてきました。その一方で、自分が依って立つ自然に帰ることを忘れていないからこそ、独自性を失いませんでした。

私がフィンランドに関わって発見した大きな一つは、フィンランド語にはこれといった未来形がないということでした。未来は現在形で表します。つまり、未来は現在の中にあるということです。ひとつかみの無をもって、前むきな明日の在り方を提案しつづけるフィンランドの児童書に、私は大きな魅力を感じています。

文/末延弘子 フィンランド文学情報センター(FILI)レセプション&セミナー(2009年7月8日水曜日)フィンランドセンターにおいて


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