KIRJOJEN PUUTARHA
フィンランド文学情報サイト

森を呼吸する

大地全体がしんと静まり返り、
鋸屑が匂う、濡れた苔、朽ちた潅木、
フクロウが僕の呼吸を数える、ウサギが耳を澄ます
枝にかかる僕の足音に、
僕の誇りに、僕の寂しさに。

ヨニ・ピューサロ著『この暗闇を飾らぬままに放置する』(2001)より

「ちょっと考え事をしたいから」そう言うと、私の友人は森へと踵を向けました。幾千年もの大気が満ちる森にいると、「安らいだ気持ちになる」と言います。彼はもともと孤独を愛する人でしたが、出会った多くのフィンランドの人びとは森を自分の一部であると感じているのです。

感覚器官を研ぎ澄まして、小さきものを内から見つめる。小さきものが内から膨らんで体全体に広がり、やがては一部となる。森という自然世界の一部となり、私という自然の一部となる。そんな心象風景が描かれた詩を目にすることは少なくありません。

1950年代の詩人、ヘルヴィ・ユヴォネンやリスト・ラサの詩には、視線を下に落として小さな世界を大きく描いたものが多く見受けられます。

杯苔
ルカ伝
17:21

苔が華奢な杯を持ち上げた、
雨がひたひたに満たし、雫に
耀う天蓋、風も凪ぎ。
苔が華奢な杯を持ち上げた、そう
今こそ人生の幸に乾杯を。

ヘルヴィ・ユヴォネン著『氷底』(1952)「根元の隙間から」より

杯の形をした苔の存在が一つのパノラマとなって目に映る、そんな耀きが私の心をも照らしてくれるようです。フィンランドは漿果(ベリー類)が豊富に実っています。ベリーは夏に左右されます。乾燥しすぎてもだめ。雨量が多すぎてもだめ。繊細な果物です。そんなベリーを取り囲む小さな情景をラサの詩に見つけました。

一夜、一夜
森が薄らぐ。
茎からぽとり
アリはぐるり
もぎたてのコケモモを
アリ塚の電灯に。

リスト・ラサ著『旅するスズメ』(1954)より

杯苔も何故ということなく雨粒を受け、コケモモを何故ということなくアリのもとへと落下する。アリもまた、何故ということなく落ちるべくして落ちてきたコケモモを、よいしょと背負い自分の責務を果たす。そんな自然の営みが神々しく見え、私はユヴォネンの次の言葉に同じ想いを寄せるのです。

森に行った。
木々にぺこりと頭を下げた。
ほら、私のバケツはベリーでいっぱい。

ヘルヴィ・ユヴォネン著『氷底』(1952)より

(文/訳 末延弘子「スオミ」15号掲載)


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