KIRJOJEN PUUTARHA
フィンランド文学情報サイト

響く夏

「夏はひとしきり、冬がまた巡るから」

泡沫のように消えゆく夏を、フィンランド人がそう口にするのを耳にしました。凍上した大地は、殻を破るようにその漲る生命を解放し、着氷した湖は、その姿を雪解け水とともに開放します。やがて、青く吸い込まれそうな湖上に、船の轍を目にするようになります。その静かな波紋が、まるで夏の到来を知らせるかのように、湖上に点在する島々の波打ち際へと広がってゆくのです。ヘルシンキより北東へおよそ340キロ。サイマー湖上交通の要所で、サヴォ地方の商業と文化の中心地であるサヴォンリンナは、そんな青い光景が水際立つ町です。サヴォンリンナでは、夏になると音楽祭が催されます。それが、サヴォンリンナ・オペラフェスティバル。

フィンランドの劇場文化は古く、今日では国民の文化として根強い人気があります。演劇に関しては、既に17世紀にトゥルク大学の学生などによって親しまれていましたが、今日の舞台の礎が築かれ始めたのは19世紀に入ってからだと言えるでしょう。オペラに関して言うと、フィンランドで初めて上演されたのは1852年。アハベナンマーでのカール9世の狩猟を物語った「カール大帝の狩猟」で、音楽をフレデリック・パシウスが、リブレットを"童話のおじさん"としてフィンランドで親しまれているザクリス・トペリウスが担当しています。

そもそも、サヴォンリンナのオペラフェスティバル誕生には、20世紀初頭のフィンランドの民族意識の高揚、そして、フィンランドの独立と関わりあうところが大きいのです。1907年に、世界的にその名を馳せたソプラノ歌手アイノ・アクテーが、サイマー湖上に浮かぶオラヴィ城で開かれた祝賀パーティに出席し、そこでアクテーは感じたのです。この中世に建てられたオラヴィ城は、オペラ上演に最適の場所であると。「筆舌に尽くしがたいほど絶景の湖上」にぽかりと浮かぶ幻想的な城は、アクテーでなくとも人びとの心を捉えて離さないでしょう。それだからこそ、当時、まさに開花しようとしていたフィンランドの音楽芸術を披露するにはもってこいの舞台だったのだと思います。第一回目のオペラフェスティバルは1912年の夏に開催されました。アクテーは、オラヴィ城をフィンランドのオペラ芸術のメッカとして築き上げ、途中、第一次世界大戦やフィンランド内戦、また、それに伴って生じた経済的な逼迫状態にアクテーの更なる夢は脆く崩れ去りましたが、この音楽の祭典の名声は国境を越えて知れ渡ったのです。

それ以来、このオペラ・フェスティバルは40年近く途絶えた状態ではありましたが、サヴォンリンナでは夏のイベントや音楽祭などを催してはいました。というのも、この町には、観光客が途切れることがなく、当時から、サンクトペテルブルクから足を運んでくるほど町のスパは評判が高かったのです。目を奪うような美しい町の佇まい、そして、プンカハルユの地峡のように、ぐるりと取り囲む凛とした自然。そんな景観を抱くサヴォンリンナは、引き寄せられるサマーリゾートの一つとなったのです。

そして、1967年、オペラフェスティバルは再び息を吹き返しました。サヴォンリンナで10数年以上に渡って開催してきた音楽祭のプログラムにオペラコースを取り入れ、そこで世界レベルの歌手たちが喉を鳴らし、大成功を収めたのです。これ以来、サヴォンリンナのオペラフェスティバルは国際的なオペライベントとして成長を遂げてゆき、毎年、6万人もの人びとが、フィンランドのオペラ芸術は生命力に溢れる国民たちの音楽祭なんだと、実感するようになったのです。サヴォンリンナはヨーロッパの著名なフェスティバルの芸術レベルにまで達すると同時に、フィンランドのオペラ芸術の珠玉を世界に披露する場となりました。そう、まさに、アクテーの夢でもあったように、サヴォンリンナはオペラ芸術のメッカとなったのです。「筆舌に尽くしがたいほど絶景の湖上」で響くオペラの音、幻想的な中世の城で反響するその音は胸を打ち、忘れ得ない音色を奏でることでしょう。夜の帳が降りることのない白い天蓋いっぱいに、フィンランドの夏の音が冴え渡る。このひとときを、フィンランドの音楽祭とともに過ごしてみては。

(文 末延弘子 「スオミ」13号掲載エッセーに加筆修正)


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