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 Sampoの現代的な捉え方

【Sampoとは?】

「サンポ(Sampo)」とは、フィンランドの国民的叙事詩『カレヴァラ』(Kalevala, 古 1835, 新 1849)に登場する秘器のことです。『カレヴァラ』の第7詩に「ヴァイナモイネン ポホヨラの地にて(Väinämöinen Pohjolassa)」というお話があり、そこに秘器サンポのことが次のように触れられています。

カレワラ 【第7詩-「ヴァイナモイネン ポホヨラの地にて」の要約】

「ヴァイナモイネンは、広い海原を何日間も漂った。ある日、鷲がヴァイナモイネンを見つける。鷲は、住処の白樺を切り倒さずに残してくれたヴァイナモイネンのことを忘れていなかった。鷲はヴァイナモイネンを背中に乗せ、ポホヨラの地の海岸に連れて行く。海岸で泣いているヴァイナモイネンを見つけたポホヨラの地の女主人は、ヴァイナモイネンを自宅に招き入れる。ポホヨラの地に辿り着いたヴァイナモイネンは、故郷のことを恋しく思う。ポホヨラの地の女主人は、秘器サンポを鍛造してくれるならば、ヴァイナモイネンを故郷へ送り、また自分の娘を花嫁として嫁がせると約束する。ヴァイナモイネンは、この約束を受け入れ、故郷に戻ったら直ぐに鍛冶屋イルマリネンをポホヨラの地にサンポを鍛造するために来させることを約束する。約束を交わした後、ポホヨラの地の女主人は、ヴァイナモイネンに橇と馬をヴァイナモイネンに与える。」

ヴァイナモイネンは、約束を守ろうとしますが、自らサンポを製造することが出来ないと気付きます。そこで鍛冶屋イルマリネン(Ilmarinen)にサンポの鍛造を依頼します。その話が、の第10詩の「サンポの鍛造(Sammon taonta)」で語られています。

カレワラ 【第10詩-「サンポの鍛造」の要約】

「ヴァイナモイネンは故郷に辿り着く。そして、鍛冶屋イルマリネンに秘器サンポを鍛造し、それと引き換えにポホヨラの地の生娘を花嫁に向かい入れるように薦める。イルマリネンは、この提案を受け入れない。そこでヴァイナモイネンは、ポホヨラの地に月と太陽が止まる木があると嘘をつき、無理やりイルマリネンの関心の矛先をポホヨラの地に向けさせる。ヴァイナモイネンのついた嘘に興味を示したイルマリネンは、ポホヨラの地に赴くことを了承する。ホホヨラの地に到着すると、イルマリネンは丁重にもてなされ、そこで秘器サンポを鍛造に取り掛かる。そしてついに塩、粉、貨幣を製造する秘器サンポを創り上げる。ポホヨラの地の女主人は、出来上がったサンポを岩山に隠す。イルマリネンはサンポ鍛造の報酬として約束通りポホヨラの地の生娘を要求する。生娘は家を出る決心がついていないと言葉を濁して、イルマリネンの要求をはぐらかす。イルマリネンは帆舟を得て郷里へと旅立つ。家に着いたイルマリネンは、サンポを鍛造したことをヴァイナモイネンに伝える。」

この詩の中で「塩、粉、貨幣を噴出す臼」としてサンポが語られています。幸せをもたらす秘器サンポが誕生したわけです。しかし、幸せだけでなく不幸もサンポはもたらしました。このサンポをめぐって後に、ポホヨラの地とカレヴァの地は争いを起こすのです。サンポを手に入れたポホヨラの地は豊かになりました。当然、英雄ヴァイナモイネンはサンポを取り戻そうと(正確にはサンポを分かち合おうと)します。そのことが、第42詩に「サンポの略奪(Sammon ryöstö )」として語られています。

【第42詩-「サンポの略奪」の要約】

「ヴァイナモイネン一行は、ポホヨラの地に到着する。そこでヴァイナモイネンはポホヨラの地の女主人に秘器サンポを分かち合うように告げる。しかし、ポホヨラの地の女主人はサンポを分かち合う気はない。ヴァイナモイネン一行は、サンポを力ずくで持ち去ろうとする。ポホヨラの地の女主人は、サンポを守るために軍備を整える。ヴァイナモイネンはカンテレを演奏し、ポホヨラの地の女主人率いる軍勢を眠らせてしまう。その間、ヴァイナモイネン一行はサンポを石山から探し出し、舟に積んで持ち去る。帰路三日目に、ヴァイナモイネンがとめるにも関わらず、レンミンカイネンが勝利の歌を歌う。この歌声はポホヨラの地まで届き、ヴァイナモイネンがポホヨラの地の軍勢にかけた眠りの呪文が解けてしまう。サンポが持ち出されたことに気付いたポホヨラの地の女主人は、ヴァイナモイネン一行の進路を塞ぐように濃霧と強風などを障害として送り込む。その風のために、ヴァイナモイネンはカンテレを海に落としてなくしてしまう。」

いよいよサンポ争奪戦がはじまります。この争いについて、第43詩に「サンポをめぐる争い(Taistelu Sammosta)」としてこのように語られています。

【第43詩-「サンポをめぐる争い」の要約】

「ポホヨラの地の女主人は、軍勢を送り込みサンポを取り戻そうとする。濃霧と強風で進路を塞がれたヴァイナモイネン一行は、ポホヨラの軍勢に追いつかれる。そしてカレヴァラの地のヴァイナモイネン一行とポホヨラの地の軍勢がサンポをめぐる争いをする。勝利は、ヴァイナモイネン率いるカレヴァラの地に微笑む。しかし、ポホヨラの地の女主人はサンポをヴァイナモイネンの舟から海へ落とした。サンポは粉々になる。大きな破片は海に沈み海の宝物となる。小さな破片は、波に流され海岸に打ち上げられる。ヴァイナモイネンはこれを喜び再び繁栄することを望む。ポホヨラの地の女主人は、あらゆる手を尽くしカレヴァラの地を滅ぼそうとする。しかし、ヴァイナモイネンはこれを許さない。権力を失い落胆したポホヨラの地の女主人は、唯一手にいれたサンポの蓋を持って帰っていく。ヴァイナモイネンは、海岸に打ち上げられたサンポの破片を丹念に拾い集め、それをカレヴァの地に蒔く、そして永久の幸せを求める。」

これが『カレヴァラ』で語られているサンポに関わるお話(サンポサイクル)です。文字通りに話を解釈すれば、サンポは「塩、粉、貨幣を噴出す臼」ということになります。しかし、そんなものがあるわけありません。架空の秘器です。それゆえ、このサンポの実体について、長年議論されてきました。「キリストの写真である」、「キリスト教関連の大切なもの」、「宇宙柱」などなど「サンポとは何か?」に関する議論はいまだなに結論をみません。もちろん、これからも結論に至ることはないと思われます。

カレワラ 【Sampoの現代的な捉え方】

では、現代的な「サンポの捉え方」はどのようなものでしょう。その一例になる記事がフィンランド文化情報誌「Hiidenkivi」(1/2007)に掲載されていました。ヘルシンキ大学のIlkka Niiniluoto教授による「Sampo: soma kalu vai sivistys?(サンポは、単なる道具かそれとも文明化か?)」です

Niiniluotoは、サンポの存在を科学技術の発達と結び付けます。彼の考え方の根底をなすものは、『カレヴァラ』の編者エリアス・レンロートが1858年に冗談交じりに語ったサンポに関する見解です。それは、「サンポは、寓意的に人類が獲得した文明や文化を意味する」というものです。つまり、Niiniluotoは、「技術の進歩」と「人類の営み」の関連性をサンポの存在に見出しているわけです。そして、科学技術先進国フィンランドを予見するかのような意味合いを現代的な視点でサンポに与えているのです。

しかし、その場合少し問題が生じます。それは、英雄ヴァイナモイネンの『カレヴァラ』のおける位置づけです。先ほど『カレヴァラ』の要約で述べたように、サンポは、ヴァイナモイネン自身ではなく、イルマリネンが鍛造しました。知識人としてのヴァイナモイネンが「技術の進歩」に追いついていないのではないか?という矛盾が生じます。Niiniluotoは、それを補うようにヴァイナモイネンには民族楽器カンテレを製作する役割が与えられたと考えます。イルマリネンのサンポ鍛造を普遍的な科学技術の発展として捉える一方で、ヴァイナモイネンの役割はフィンランドの文化を後世に伝えることです。確かに、民族楽器カンテレは今日のフィンランドにおいても独自の文化として色あせることなく受け継がれています。それと同時にヴァイナモイネンにしか「作れない、弾けない」楽器という設定は、ヴァイナモイネンの知識人としての地位を確固たるものにしているのは確かです。

Niiniluotoの解釈に従うと「黄金の花嫁」の話も、科学技術の進歩で得ることが出来ない「限界」を示唆する話として寓意的に受容することが出来るかもしれません。もちろん彼の解釈は、ほんの一例に過ぎませんが、現在のフィンランド人がどのようにサンポに意味を生成しているのかをしる良い例ではないかと思います。興味のある方々は、「Hiidenkivi」(1/2007)をご参照ください。


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